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〜初詣:蜂田神社(大阪府堺市2014年1月1日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!行く年来る年
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塩.海.神助けの神→神塩土老翁神
龍神の化身?→開口神社手水鉢の像
スサノオは天界を追放され→守り神に
住吉大社第四神と→松風&舳松神社
コーヒーブレイク?が→泉陽高等学校
堺の幼稚園発祥の→記念碑は必要?
開口神社の境内に→他にもこんなもの
三宝荒神は日本独自の神様→竈神社
風鈴・日常の風景・淡路島→山本梅史
開口神社の薬師社→薬師如来は神?
唯一神明造りと大社造り→そのルーツ
纒向遺跡まきむくいせき→新事実発表
貧乏神が石になって→福の神になる?
桜井神社の起源は水神?→桜井古跡
スサノオ妻の母を祀った?→起源の真実 イザナミ孫の神社→三宝荒神の神社に
霰松原神社にある物→3社・楠・忠魂碑
蜂田神社から→藤原氏と天皇と話神を
当然 氏神さんにも詣でていています。そしてその名は蜂田神社といいます。
このあたりには、町名として八田町という地名がありますが、その氏神さんは、八田神社ではなく、蜂田神社なのです。ちょっと不思議ですね。
現在の蜂田神社のお社は、決して古い建造物ではありませんが、家紋として鈴がモチーフに使われていて(画面では分かり難いかも知れませんが、)、金色の家紋がとってもキュートです。
蜂田神社は通称、鈴の宮とも言われます。
ではその由来をご紹介しましょう。
【蜂田神社について】
当社の起源は古く、延喜式内社です。当社を原籍とする蜂田連の祖 天児屋根命(あめのこやねのみこと)を主祭神として祀っています。
当社は現在地より西1丁余りの山林に鎮座していましたが、永禄11年(1568)の三好衆対松永勢の家原(えばら)城攻防が原因で、現在地に遷宮(せんぐう)したと伝えられています。
近年では西林寺を併有していましたが、明治の神仏分離令により、西林寺は廃寺となりました。なお、明治政府の神仏融合祀策によって、明治43年(1910)付近の村社6社と無格社2社を合祀しました。
当社が通称「鈴の宮」と呼ばれるのは、蜂田連が土焼きの鈴12個を作り、毎年春の初めに神前に供え、鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事によるものです。
近年は境内の土を使って12種の占い鈴を作り、節分の日に、古式通りに鈴占いを行うほか、開運厄除(かいうんやくよけ)の御守鈴を作り参拝者の求めにより授与しています。
蜂田神社のその他の情報はこちら→スポット詳細:蜂田神社|堺観光ガイド - sakai-tcb.or.jp
【延喜式内社(えんぎしきないしゃ)とは】
一般には式内社と称され、単に内社ともいい、これ以外を式外社といいます。
《延喜式》巻九,十,すなわち〈延喜式神名帳〉に記された3132座,2861所の神社のこと。座は祭神の数をあらわし,一社に2座,3座まつられていることもある。
古代律令体制下,宮中,京中,五畿,七道内の有力神社に対し,祈年祭などに,神祇官または国司より幣帛(へいはく:神饌 (しんせん) 神への供物として用いられる飲食物に対して、それ以外の神にたてまつるものの総称)を奉った神社。起源は不詳であるがおよそ7世紀末の白鳳期ころからとみられ,しだいに数を増して,10世紀の延喜ころまでにそのような数になったものとみられる。
【天児屋根命(あめのこやねのみこと)とは】天児屋命 - Wikipediaの記述より
神社の祭神としては天児屋命とも表記される。春日権現(かすがごんげん)、春日大明神とも呼ぶ。居々登魂命(こごとむすび)の子で、妻は天美津玉照比売命(あめのみつたまてるひめのみこと)。
岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際瓊瓊杵尊(ににぎのみこと:皇室の祖先になったとされている神)に随伴し、中臣連などの祖となったとされる。 名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」の意味で、託宣の神の居所のことと考えられる。 また、江戸時代後期の国学者・平田篤胤の説では、この神は思兼神と同一神であるとしている。
【天皇家と日本神話の関係】
天皇と日本神話の関係に興味のある方はここからが面白い!
渡来人(中国・朝鮮半島からの民)から漢文を学んだ倭の国の民(日本人)が天皇家を神格化するために記したのが古事記や日本書記(NHKの「式年遷宮」の番組では、β群の書物と紹介)ですが、
天児屋根命(あめのこやねのみこと)の父:居々登魂命(こごとむすび)について検索してみると、面白いページがりました。「邪馬台国と大和朝廷を推理する」というものです。
この中で天児屋根命(あめのこやねのみこと)は、「藤原氏が氏神とする春日大社には天児屋根命(あめのこやねのみこと)が祭られていますから、藤原氏の事実上の先祖は天児屋根命(あめのこやねのみこと)です。この神は、天孫降臨のときに皇孫際瓊瓊杵尊(ににぎのみこと:皇室の祖先になったとされている神)に従ったとされます。」と紹介されています。
天皇の略系図(神話の神は、初代神武天皇から見た関係です。)
神話の世界__________________________________
イザナギノミコト(伊弉諾尊)→アマテラスオオミカミ(天照大神)→アメノオシホミミノミコト(天忍穂耳命)→曾祖父・ニニギノミコト(際瓊瓊杵尊):曾祖母・コノハナサクヤヒメノミコト(木花開耶姫命)
→祖父・ホオリノミコト(火遠理命=山幸彦):祖母・トヨタマヒメノミコト (豊玉姫命)
→父ウガヤフキアエズノミコト(鵜草葦不合命):母・タマヨリヒメノミコト(玉依毘売命)
以下から天皇家始る_______________________________
→(9)の兄:大彦命・・・・・〔阿倍氏族〕
そして→(初代)神武天皇・・・(8)孝元天皇→(9)開化天皇・・・・・ →(9)の弟:彦太忍信命→屋主忍男武雄心命→〔蘇我氏へ〕
以下から古墳時代__________________________________
・・・・・・(15)応神天皇→(16)仁徳天皇→(17)履中天皇・・・・・(26)継体天皇・・・・・・
以下から飛鳥時代__________________________________
・・・・・・(27)安閑天皇・・・・・・・(33)推古天皇・・・・・・
以下から白鳳・奈良時代_____________________________
・・・・・・(38)天智天皇(中大兄皇子:大化の改新の)→(39)弘文天皇(大友皇子)→(40)天武天皇
→(41)持統天皇(天武天皇后:伊勢神宮の式年遷宮始る・の意志によって、天皇家の神権的絶対性を確立するために、「古事記」「日本書記」を編纂) →(42)文武天皇(軽皇子:持統天皇の孫)・・・・・・
天照大御神がその子ではなく、孫のニニギノミコト(際瓊瓊杵尊)を使わした神話の天孫降臨は、持統天皇が孫の軽皇子に次の天皇を継がせた史実に重なる。
以上のように、蜂田神社は、春日大社が主祭神とする 天児屋根命を祀ることから、春日大社の分社もしくは藤原家に由来する在所の神社なのでしょう?
藤原氏の略系図
(1)天御中主─(2)─(3)─(4)─(5)─(6)─(7)津速魂─(8)市千魂―(9)居々登魂─(10)天児屋根(春日大社と蜂田神社の主祭神)・・・・(30)藤原鎌足・・・・ 「邪馬台国と大和朝廷を推理する」の記述では、「神話の書き出しを、天地の分かれや生命誕生について語る世界化成神話と捉える見方もありますが、日本神話は多重神話と見るべきでしょう。建国神話の上に、古い世界化成神話を重ねていると見たほうが良いと思います。」「藤原氏の系譜図:尊卑分脈』の系図では、天御中主から直系で7代が津速魂で、そのあとに市千魂、居々登魂と続き、10代が天孫降臨の天児屋根命アメノコヤネになります。」とあります。
とっても面白い推考ですね。
2014年元旦の蜂田神社1
蜂田神社の手水舎
こちらの手水場の水はオーソドックスな龍が水を
2014年元旦の蜂田神社2
2014年元旦の蜂田神社3
2014年元旦の蜂田神社4
なんで馬の大絵馬の文字が裏書きなの?
理由がわかりましたので追記します。
裏から書いたような馬の字は、左馬と言うそうです。左馬の意味ですが、うまを逆に読むと まう→舞うになり、縁起がいいのですよね。ご存知の方も多いのでしょうが、私はしりませんでした。
2014年元旦の蜂田神社5
蜂田神社の境内にもお稲荷さんがあります。 |
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