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〜初詣:宿院頓宮の飯匙堀(いいがいぼり)てなに?(2014年1月3日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!行く年来る年
大社前は海だった?結論→浜口萬目地蔵 住吉造:本殿の画像→第一本宮と住吉造
本宮について→第四本宮〜第二本宮
神と伝承について→幸壽門より境内へ
南北朝とのかかわり→外観と南北朝の話
太鼓橋(反橋)について→太鼓橋(反橋)
神馬について→住吉大社の神馬
住吉大社とチンチン電車→ チンチン電車
川端康成文学碑→文学碑・歌碑・句碑 今回のページは、一番下の記述→【飯匙堀(いいがいぼり)とは】から読み、分からない事があったら、上の項目へと逆読みするのも有りです。
前回は住吉大社の宿院頓宮をご紹介しました。
そしてその文末で、
「明日の夜に、飯匙堀(いいがいぼり)についての記述を追加します。」と予告しました。
飯匙(いひがひ)とは、飯を盛るためのしゃもじのこと。関西では安芸の宮島におみやげでこれが売られていることから、通称宮島とも言いますよね。
先の予告から言えば、さっそく飯匙堀(いいがいぼり)について述べなければならないのですが、その前に、そもそも頓宮(とんぐう)とは何でしょう?
宿院頓宮は、住吉大社の御旅所として設置され(年代不詳)、堺市には「宿院」という地名や路面電車の阪堺線の駅名としても使われていますが、住吉の「宿居」から転じて「宿院」と呼ばれるようになったと言われます。古くから夏の大祓日に住吉大社から神輿迎え、境内にある飯匙堀で「荒和大祓神事」が行われてきました。
ではなぜ住吉大社から宿院頓宮に神輿が渡るのでしょう?
【頓宮とは】
頓宮(とんぐう)は仮の宮、一時的な宮のこと。「頓」の語は休息して留まるの意味だそうで、この言葉の主な用途としては、以下の1.2.3.が有ります。
1.神幸祭で神体を乗せた御輿を一時的に休ませるところ。「御旅所」。
宿院頓宮においての頓宮とは、この意味 。
2.天皇行幸時の仮の宮殿。行在所(あんざいしょ)とも言う。
「行宮(あんぐう)」の語は滞在が長期 にわたる場合に使われることが多い。
行宮については、
〜観心寺:旧惣持院跡 そもそも行宮って?えっ、東京も?(2013.8.15)〜で後村上天皇の観 心寺御在所をご紹介し、行宮とは何かについて記しました。
御在所の具体的な例としては、
〜堀家住宅:賀名生皇居跡と栗山家住宅(2013年8月24)〜で南北朝時代の後醍醐天皇とその 子後村上天皇(南朝)ゆかりの御在所の賀名生(あのう)皇居跡
〜住吉行宮跡:後村上天皇の夢の跡(2013.8.26)〜で同じく後村上天皇(南朝)の住吉行宮 を
〜魚眼で見る 天野山 金剛寺 南朝 御在所 魔尼院〜で同じく後村上天皇(南朝)の御在所の 磨尼院を 〜魚眼で見る 天野山 金剛寺本坊・観蔵院:目線は上から(2013年7月28日)〜で現在の天 皇家に連なる北朝の御在所となった観蔵院
以上5つのページで1つの行宮と4つの御在所の具体的例をご紹介しました。
3.斎宮(さいぐう)が伊勢との往復の際に使った休息を取ったところ。 【斎宮(さいぐう)とは】
斎宮(さいぐう/さいくう/いつきのみや/いわいのみや)は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に 奉仕した斎王の御所であるが、平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のこと も指した。後者は伊勢斎王や伊勢斎宮とも称する。
ではなぜ住吉大社から宿院頓宮に神輿(みこし)が渡るのでしょう?
住吉大神は、記紀神話(後に説明あり)によれば伊弉諾命(いざなぎのみこと:アマテラスオオミカミ天照大神や、スサノオノミコト須佐之男命等多くの神の父神であり、初代天皇神武天皇の祖先。)が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原から戻った伊弉諾命(いざなぎのみこと)は、この沼で 、禊祓(みそぎはらえ:ミソギ禊とハラエ祓を合わせた用語。 =罪やけがれを除去して心身を清める行為)をされた時に出現された神と伝えられているそうです。
また、住吉祭は、もともと摂津・河内・和泉の国中の大祓(おおはらえ:犯した罪やけがれを除き去るためのおはらえの行事)の意味が込められているそうです。
つまり神輿(みこし)が宿院頓宮へと渡るのは、住吉大神がある摂津の国(現在の大阪府の北西・南西部と兵庫県 の東部)から大和川を渡り、和泉の国(現在の大阪府南西部)もお祓えするもので、加えて本来なら河内の国もその対象だったのが、象徴的にその距離を短くした形で今なお祭事として行われているのでしょう。
【記紀神話での筑紫の日向とは】高天原と豊葦原水穂国と日向 - niftyより
記紀神話での筑紫とは筑紫島すなわち九州全体のことで、日向は南九州だそうです。
ただし、他の神話の中では、②いわゆる筑前・筑後の筑紫を示す場合や、③豊前を含む北部九州を示す場合など、三つの意味に分かれいるとか。たとえば、神武東征では日向を出発し筑紫の宇佐に立ち寄っている。この場合、豊前が筑紫の範囲に入る。(南九州)と筑紫を対比しているので、この場合の筑紫とは北部九州を意味するとの事です。
私などには想像も出来ないことですが、古事記や日本書記の中の神話を読み解くということは、一筋縄では行かないことが、「筑紫」という地名1つ取っても分かる気がします。
「古事記」に記された筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は、橘湾に面する見能林町一帯で、イザナギが禊ぎをした時に天照大神、月読命、スサノオ命が生まれたといわれています。
【記紀神話とは】記紀神話(三浦佑之) - niftyより
記は『古事記』、紀は『日本書紀』をさし、両書に載せられた神話を総称するときの呼称。
和泉の国は、上の地図の黄色い地域
河内の国(「河内の国」大阪 南河内地域の日々 ”河内の国”ってどこ?より)
【荒和大祓神事(あらにごのおおはらいしんじ)について】
住吉大神がお祓えをするにあたって、宿院頓宮で行う「荒和大祓神事(あらにごのおおはらいしんじ)」では、飯匙堀(いいがいぼり)において古儀(こしき)に則(のっと)り茅輪(ちのわ:菅貫すがぬきと同意)をくぐり(茅(ち=かや:茅葺屋根の材料)とは、茅萱(ちがや)菅(すげ)薄(すすき)などの総称で、この輪をくぐり越えて罪やけがれを取り除き、心身が清らかになるようにお祈りするもの)を以て「荒和大祓神事」を執(と)り行い、人形に罪穢(つみやけがれ)を託して祓具(おはらえの道具)と共に茅渟(和泉の国の沿岸を、昔こう称していた)の浦海(河口周辺の海:湾)に流して堺の平安と発展を祈る神事です。
以上のお話を終えて、やっと前回予告した飯匙堀(いいがいぼり)のお話が出来ます。
【飯匙堀(いいがいぼり)とは】
飯匙堀(いいがいぼり)は、海幸 山幸神話の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと:天の国の天照大神が地上の国を治めるために使わした天照の孫(ニニギノミコト瓊瓊杵尊の子)が海神よりいただいた潮満珠(しおみつたま)潮干珠(しおひるたま)を埋めた処と云い伝えられ、一年中、空堀。
潮満珠(しおみつたま)潮干珠(しおひるたま)は、海と水をあやつる不思議な珠だそうです。
潮干珠(しおひるたま)の力により、どんな大雨や洪水でも水が溜まらないと言われる飯匙堀(いいがいぼり)ですが、以下に紹介している飯匙堀(いいがいぼり)の画面中央に岩が有りますよね。これって何?」って思いますよね。
これは、岩座と言うそうです。
【岩座とは】
海幸山幸の神話では、海幸彦の釣針を失くした山幸彦の前に現れ、小舟を出して、竜宮にいる海神に相談するように告げます。
山幸彦は、塩土老翁(しおつちのおじ)勧めで竜宮へ行き海神の女豊玉姫と結ばれました。 その時、海神から潮涸珠(しおふるたま)・潮満珠(しおみつたま)を授かります。 陰なる潮満珠(潮干珠)を住吉大社の玉出島(大海神社・玉之井)に納め、 陽なる潮涸珠は、開口(あぐち)神社の近くにある宿院頓宮の飯匙堀(いいがいぼり)に納めました。 そしてその中央に有るのが、岩座。 岩座は、塩土老翁が腰掛けたと伝わる石、だそうです。
開口神社とその主祭神である塩土老翁については、次回ご紹介します。 海幸 山幸神話は、こちら→山幸、海幸神話
塩満珠と塩乾珠神話は、こちら→塩満珠と塩乾珠神話
以上でお分かり頂いたでしょうか?
飯匙堀(いいがいぼり)
どんな大雨や洪水でも水が溜まらないと言われる飯匙堀(いいがいぼり)ですが、
画面中央に岩が、・・・。
飯匙堀(いいがいぼり)の説明板
宿院頓宮の荒和大祓神事(あらにごのおおはらいしんじ)(説明板の画像)
今回は、ページを作成するのに必要な情報のあるページや、古い地名が何処なのかを示す地図などを探すだけで、3日もかかってしまい、本当に疲れました。
次回は、開口神社とその主祭神である塩土老翁についてご紹介します。 |
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