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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜開口神社の主祭神:塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)とは?
(堺市2014年1月3日)〜 
 サブタイトル:オヤジブログは自由だ!行く年来る年
 
  
開口神社は堺の歴史→奈良時代から
塩.海.神助けの神塩土老翁神
龍神の化身?→開口神社手水鉢の像
スサノオは天界を追放され→守り神に
天宇受売はエロス神?→塞神社と夫
歯痛に効く神とは?→謎の白一龍神社
住吉大社第四神と→松風&舳松神社
コーヒーブレイク?が→陽高等学校
堺の幼稚園発祥の→記念碑は必要?
開口神社にあるもの→他にもこんなもの
三宝荒神は日本独自の神様→竈神社
風鈴・日常の風景・淡路島→山本梅史
開口神社の薬師社→薬師如来は神?
 
水運や海上安全の守護神として有名な神としては、恵比須さまとか金毘羅さまがありますが、航海安全に加え、長寿、農耕の神として全国的に信仰されている神様として猿田毘古神(さるたひこのかみ)という神があり、この神と同一神と考えられてるのが、塩土老翁(しおつちのおきな・塩椎神)神であり、開口神社の主祭神です。説明板では塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)になってますね。
更に猿田毘古神(さるたひこのかみ)は、白鬚大明神と同一神と考えられているそうで、他にも白鬚明神(比良明神)とも岐神(ふなとがみ)とも白日神とも言われるそうです
 
色んな名前の神が同一神とそて神話に登場するので、私たち凡人は尚更何が何だか分からなくなるのですが、
塩土老翁(しおつちのおきな・塩椎神)神と猿田毘古神(さるたひこのかみ)などが同一神と考えられている理由としては、山幸彦を无間勝間(まなしかつま)という籠船(かごぶね)に乗せて龍宮へ案内し、神武東征(後に説明文あり)のきっかけを作った道教えの神・嚮導の神(水先案内人)としての性格が共通してあるからだそうです。
(古事記や日本書記においての記述に統一性が乏しいのは、いかに多くの人によって書かれ、時代とともに改変を繰り返した結果とも言えるのでしょう)
 
また、海人の藻塩 - niftyのページに記された内容を紹介すると、
「日本書紀」には、山幸(火遠理命)が、兄の海幸(火照命)の釣針を無くして困っていると、塩土老翁神が現れて、袋から櫛を出し地面に投げると竹林となって、その竹で籠舟(かごふね)を作ったとあります。別の一書では、浜辺で罠にかかった川雁を解き放ってやると、塩土老翁神(しおつちのおきな)が現れて、籠舟(かごふね)で海神宮(龍宮)へ送ってくれたという一節があるそうです。
 
これら上記の記述をひっくるめて私流に簡単に言ってしまうと、
日本神話の神世の時代に神様が困った時、決まってその手助けをする神様、
もっと言うと、神様が困った時の神頼みに現れる神、それが開口神社の主祭神塩土老翁(しおつちのおきな)神と言うことになり、
この上もなく霊験あらたかな神といえるのかもしれません。
 
【神武東征(じんむとうせい)とは】神武東征 - Wikipediaより
日本神話において、初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武 天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話。
 
更に付け加えると、塩土老翁(しおつちのおきな・塩椎神)神と同一神とされる猿田毘古神(さるたひこのかみ)は、主な神社だけでも、椿大神社(三重県鈴鹿市山本町)、都波岐・奈加等神社(三重県鈴鹿市一ノ宮)、猿田彦神社(伊勢市宇治浦田町)、伏見稲荷大社(京都市伏見区深草薮之内町)とあり、その他、全国各地に「猿田彦神碑」として、塞の神・道祖神に置き換えられて祀られている、ほぼ全国的な神様だそうです。
これは、様々な顔を持つ猿田毘古神は、海人文化のルートである対馬海流と黒潮に乗って、南方から伝播したというのが、猿田毘古神 - niftyの管理人が推奨する説です。

イメージ 5
猿田毘古神(さるたひこのかみ)が全国に伝わった
ルートとして考えられている海流の図
 
イメージ 4
開口神社にある説明板の一部
海人の藻塩 - niftyには、以下のような記述もありました。
「塩は浄めの料、縁起物として用いられる。料理屋などで、塩を玄関先など三ヶ所に置く「盛塩」や、相撲の力士が土俵に撒く浄めの塩、また、葬式から帰った人が玄関で塩を撒く風習は、かつて葬礼の前に海へ入って身を浄めた「汐垢離(しおごり)」の名残であるという。「盛塩」のルーツは、「立砂(車寄せの前の両側に、浄めの為に円錐形に高く盛った砂。盛り砂。)」で、そのまたルーツは、上賀茂(賀茂別雷)神社の二の鳥居の向こうにある、細殿(拝殿)前の一対の円錐形に盛った砂、「立砂」に端を発しているといわれる。これは神山をかたどったもので、一種の神籬(ひもろぎ・神の依代)であり、浄めの砂である。鬼門、裏鬼門に砂を蒔くのは、この立砂信仰が起源であり、転じて、力士が土俵に撒く「塩」となった。力士の「廻(まわし)」はフンドシで、海人の伝統的な衣装であり、相撲が神楽や流鏑馬と並んでよく神前に奉納されるのも、私見では海人にルーツがあると考えている。「砂」や「塩」が海の物であるのは、言うまでもない。」
 
イメージ 1
開口神社 東門
 
イメージ 2
開口神社境内
 
イメージ 3
開口神社 本殿
 
 【最後に一言】
同一神とされる神様が、西から東へ北へと伝承されて行くに従って、違った名前や異なる姿になる理由は、ただ単に伝承の過程で伝え違えたり聞き違えただけではなく、
きっと、「おらが村の神様にするには、伝わってきた西方の地方と同じ呼び名の神様では・・・!完全なおらが村の神様にするには、いっそ別名の神様にしてしまおう。」
なんて考えたからなのでは?と私のようなへそ曲りは思うのです。
あれっ、一言じゃなかった。
 

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