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〜初詣:謎の白一龍神社(開口神社の末社)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!行く年来る年
手水舎の手水鉢にある謎の像やについてYahoo知恵袋に質問していることは、以前のページでご紹介しました。
今日、一つの解答をお寄せいただきましたが、残念ながら謎に像についての解答ではなく、十字架のような紋についての解答でした。
どうやら私の今回の疑問に答えは得られそうもありません。
ところで、今ひとつ謎があります。
開口神社境内には白一龍神社という末社があります。その説明板には歯痛に御利益があると記されているのですが、それ以外のことが分かりません。
白龍神社は全国に有るのですが、白一龍神社という神社は、どうやらこの開口神社にあるのみで、他府県には無いようで、ネット検索では何もヒットしません。
「開口神社の境内末社④白一龍神社(堺市・甲斐町)に関する記事です。・・・・戸隠山の戸隠神社の九頭龍大神が歯痛を直せるそうです。・・・・・」という記述だけがありました。
しかし、『白一龍』という名の由来などについての情報がなく、私としては納得出来ないものでした。
仕方がないので、九頭竜伝承 - Wikipediaにある記述の中から、当地(開口神社)に関係が有りそうな箇所を探してみたところ、以下のような文章が、一番 当地に該当する内容でしたので、ご紹介しておきます。
【猪名川・五月山一帯の九頭龍伝承】九頭竜伝承 - Wikipediaより
久々知妙見宮は清和源氏の祖、源満仲(または多田満仲 912年? - 997年:神号は多田大権現)が開基したと伝わる妙見宮(妙見菩薩を祀る)である。
天徳元年(957年)源満仲が矢文を放ったところ、岩に当たった。その岩を矢文石と名付けて、その地に北辰星(妙見宮)を祀ったと伝わる。その後、天禄元年(970年)摂津の国守に任ぜられたとき、源満仲が新しい館をどこに築こうか思い悩み、同国一の宮の住吉大社に参籠した。参籠して二十七日目、『北の空に向って矢を射よ。その矢のとどまる所を居城とすべし』との神託を受けて、満仲は鏑矢を放った。家来を引き連れた満仲は、空高く五月山(大阪の北摂山系の山)を越え放たれた矢を追いながら鼓ヶ滝(つづみがたき:兵庫県川西市の地名)付近まで来た時、白髪の老人に出会い、矢の落ちた場所を知ることが出来た。この場所は「矢を問うたところ」として、『矢問(やとう)』という地名で残っている。
満仲が老人に教えられた場所に行ってみると、河水をたたえた湖(沼)があり、その湖の主の九つの頭をもった雌雄二頭の大蛇(九頭龍)の内の一頭の大蛇大龍の目に射た矢が刺さり、暴れまわっていた。一頭はこの地で死に血水跡はまるで紅の河のようになって流れた。もう一頭は死に物狂いに山を突き破り飛び出し、湖水は鼓を打つような音をたてて滝となって流れ出た。龍はしばらく鼓ヶ瀧の滝壷の中で生きていたが大水害の度に鶯の森(うぐいすのもり:兵庫県川西市の地名)、(川西市)天王宮と下流域に流されて行き、ついに昇天した。後に、その地には12以上も鳥居の立ち並ぶ白龍神社が建立され祀られることとなる。湖沼の水は干き、よく肥えた土地が残り、多くの田畑が出来ることとなった。そのため 後に「多田」という地名が付けられる。村人等は九頭龍の犠牲の御陰で田畑が拓かれた事を甚く感謝し、九頭龍大明神、九頭龍大権現、白龍大神と崇め御祀りした。満仲は、この地に居城を築き多田源氏を名乗った。
少なくとも1988年までは、上記の九頭龍が死んだ場所として「九頭死(くずし)」という地名が残っていた。現在は「寿久井の地蔵尊」という地名の付近。
以上の伝説が住吉大社に関係があることと、開口(あぐち)神社が住吉神社の別宮であることから、ここに白一龍神社という末社があるのではないかと推察します。
開口神社の境内にある白一龍神社
この神社に祠(ほこら)はなく、石碑のみです。 |
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