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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜初詣:伊勢神宮遥拝所と式年還宮(2014年1月4日)〜 
 サブタイトル:オヤジブログは自由だ!行く年来る年
  
    
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塩.海.神助けの神塩土老翁神
龍神の化身?→開口神社手水鉢の像
スサノオは天界を追放され→守り神に
天宇受売はエロス神?→塞神社と夫
歯痛に効く神とは?→謎の白一龍神社
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コーヒーブレイク?が→陽高等学校
堺の幼稚園発祥の→記念碑は必要?
開口神社あるもの→他にもこんなもの
三宝荒神は日本独自の神様→竈神社
風鈴・日常の風景・淡路島→山本梅史
開口神社の薬師社→薬師如来は神?
唯一神明造りと大社造り→そのルーツ
纒向遺跡まきむくいせき→新事実発表
貧乏神が石になって→福の神になる?
桜井神社の起源は水神?→桜井古跡 
スサノオ妻の母を祀った?起源の真実
イザナミ孫の神社→三宝荒神の神社に
霰松原神社にある物3社・楠・忠魂碑
 
昨年は、20年に1度の式年遷宮となる伊勢神宮と60年に一度の式年遷宮となる出雲大社が共に行われたことで話題を呼びました。
以前多治速比売神社 をご紹介する中で、その境内に設けられた伊勢神宮遥拝所もご紹介しましたが、これは伊勢神宮の式年遷宮に合わせて一定の神社に設置されるもので、遠く離れた地域の方が、伊勢神宮の神殿に参るのと同等のお参りをして頂けるものです。
 
今年新年の1月4日にNHKで「二つの遷宮 伊勢と出雲のミステリー」という番組が放送されました。
その番組の中で、建築史の立場で纏向遺跡の発掘に助言しておられる神戸大学・黒田教授の、纏向遺跡(奈良県桜井市)で発見された纏向遺跡第162次調査地の主要な建物3棟のうち、一番大きな建物(D)が外壁だけではなく室内にも柱を有していることから、「出雲大社の建築様式の元になったのでは」という説を紹介していました。
詳しくはこちら→『纏向遺跡発掘調査概要報告
 
纏向遺跡には3棟(B,C,D)の大きな建物が東西を軸として一直線に並んでいて、伊勢神宮と同じ棟持ち柱のある神明造りのような建物(C)があり、これが伊勢神宮の唯一神明造りの基になったのではないかとの考えられています。
なぜなら、それらの建物の復元図の特徴もさることながら、
纏向遺跡第162次調査地は、奈良盆地の弥生時代の建物と隔絶された場所にあり、土器などの出土品といった生活の様子もなく、このことから、この建物群を、祭りを行う神殿ではないかと考えることができるからです(こうした説を改め、住居の移設地とした時期もあったそうです)。
 
以前よりご紹介しているように、伊勢神宮は持統天皇が奈良を拠点とする大和朝廷に連なる天皇家の神格化を図って創建したとされています。
ところが、出雲大社の大社造りについては、この纏向遺跡第162次調査地が発掘されるまでは、大和朝廷とは異なる文化圏から生まれた様式だと考えられていたそうです。
そしてそうした説が覆(くつがえ)る発見になったのが、纏向遺跡第162次調査地で建物(C)と共に発掘された建物(D)です。
 
出雲大社の本殿は大社造りといい、建物のちょうど真ん中に心の御柱(しんのみはしら)と呼ばれる柱があり、入り口との間に仕切り板があるのが特徴です。ですがこの柱は建築物としては機能的な意味が疑問視されるものです
纏向遺跡の主要な建物3棟のうち、162次調査地の建物(D)は、外壁だけではなく室内にも柱を有していて、出雲大社の大社造りに似た造りになっています。
大社造りと同じ様式の遺跡が、出雲近辺ではなく、大和朝廷のあった奈良から発掘されたことで、出雲大社は独自性のあるものではなく、大和朝廷に由来するものであるとの説が浮上したのです。
 
出雲大社の神殿は、現在でも日本で最も高いものですが、『古事記』や『日本書紀』が伝える記紀神話によれば、オオクニヌシノカミ(大国主神)が葦原中国(あしはらなかつくに)を天つ神に譲る代償として、天つ神の御子が住む宮殿と同じように立派な神殿を造営してくれるならば、自分は遠い幽界に隠退しようと申し出て、その合意の上で造営された神聖な神殿とされている。神殿は地底の盤石(ばんじゃく)に宮柱を立て、大空に千木(ちぎ)を高々とそびえさせた建物だったと記されています。また、出雲大社の言い伝えでは、神殿の高さは32丈(約96m)もあったとされています。
しかし、こうした伝説上の巨大な神殿は、現代のビルディングならいざしらず、常識的には信じがたいものです。
従ってごく最近まで殆ど信じられていませんでした。
これを覆したのが、2000(平成12)年に発掘された3本1組の巨大な心御柱の発掘だったのです。
ちなみに、天照大神が大国主命から国譲りを受ける神話は、倭の国随一の勢力だった大和朝廷が、同等の勢力を誇っていた出雲の国の支配部族を滅ぼすまでの逸話を神話化したものだとする説があり、
その検証の中で、出雲の一族は大和朝廷との戦に敗れて支配され、多くの戦死者を出しましたが、その後天皇家に生まれつき言葉を話せない皇子が生まれ、これを出雲(大国主命)の祟りと恐れた朝廷が、その御魂を鎮めるために既にあった建造技術を駆使して建造したのが、32丈(約96m)の出雲大社ではなかったかと
NHKの「二つの遷宮 伊勢と出雲のミステリー」において紹介されていました。
 
イメージ 1
伊勢神宮遥拝所
 
イメージ 2
伊勢神宮遥拝所
 
イメージ 4
トリイノ前地区トレンチ配置図
162次調査地を赤丸で囲んでいます。
 
イメージ 3
纒向遺跡 第162次調査地 航空写真(左が北)
 
イメージ 5
纒向遺跡 第162次調査地 建物C復元図
伊勢神宮の神殿様式(唯一神明造り)の基になったのではないかと考えられています。
 
イメージ 6
纒向遺跡 第162次調査地 建物C復元CG
 
イメージ 7
纒向遺跡 第162次調査地 建物D復元図
出雲大社の神殿様式(大社造り)の基になったのではないかと考えられています。
 
イメージ 8
纒向遺跡 第162次調査地 建物D復元CG
 
 
イメージ 9
纒向遺跡 第162次調査地 建物B復元図
建物C・建物Dと並んで建っていた。弥生時代の代表的な様式
 
イメージ 10
纒向遺跡 第162次調査地 建物B復元CG

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