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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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 〜トンボ目線で見る桜井神社 その5:桜井神社の真実
(2013年7月28日)〜 
 サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ
  
 
桜井神社の起源は水神?→桜井という井戸
桜井神社の真実はどれ?→謎解きは面白い
鳥居でなくなぜ神門?→神社建築の特徴とは
いみことば:名子氏→神道は仏を語らず容認
桜井神社の歴史→神社と神宮寺と織田信長
古来より残る神社の割拝殿→堺唯一の国宝
 
これまでに桜井神社の創建・由緒・歴史・社殿の様式などについては、すでにご紹介しています。
ですが和泉の式内社/桜井神社(堺市南区)には、こうした公式に紹介されている情報に考察を加えて詳しく検証しています。
それはとても面白い内容なのですが、いささか一般人には難解な内容ですので、私の判断で抜粋した要点のみご紹介したく思います。
 
【考察1:本当に創建は推古5年か?】
曾ての当社が上神谷八幡宮と呼ばれていたことは、境内に“八幡宮”と刻した手水槽があることなどから確かといえますが、八幡宮の総本社とされる九州の宇佐八幡宮の創建は聖武天皇・神亀2年(725)といわれ、一地方神である八幡大神が中央に広く知られたのは、聖武帝が進める東大寺大仏鋳造への全面協力を約した八幡大神が、その開眼供養(天平勝宝4年・752)に際して上京したことからといわれます。
以上の事柄を踏まえて考えると、当社に八幡神が勧請されたのは、清和天皇・貞観2年(860)の石清水八幡宮創建以降ではないかと思われます。
【考察2:当神社の名の由来は、桜井朝臣なのか?】
神社名の由来の根拠を桜井朝臣としているのは、新撰姓氏禄(815)という文献の記述で、桜井朝臣は、蘇我氏の傍系(共通の始祖をもつ系統。直系から分かれた系)氏族で、『孝元天皇−彦太忍信命−○−武内宿禰−蘇我石川麻呂−○−○−稲目−桜井臣(朝臣は天武朝での賜姓)』とつづく系譜であることから、当社祭神を武内宿禰とするのでしょう。
ただ新撰姓氏禄には、この蘇我系桜井朝臣以外にも、桜井を名乗る氏族として渡来系氏族があり(坂上大宿禰−−後漢霊帝男の延王より出る、とある)、当地一帯に大規模な古代陶器竈跡があることから、その技術を移入した百済系渡来人がその祖神を祀った、とする説もあります(日本の神々3所載・桜井神社・2000)。
そう言えば、桜井神社からさほど遠くない場所に、『陶器』という地名があります。
また、当社の遠縁を桜井の井戸とすれば、古代農耕に必要な水を司る水神とみることもできます
【桜井神社の信仰対象としての変化】
創建後の経緯については不詳ですが、由緒略記によれば、
 「古来、和泉国大鳥郡上神(ニワ)郷の総鎮守として歴代皇室をはじめ中世武家の崇敬が厚かったが、天正5年(1577)織田信長の紀伊根来寺征伐の兵火にかかり、神領も没収されて一時荒廃しました。
 その後、加藤清正らの発願により再建されたのですが、明治初年の神仏分離により神宮寺を廃寺とし、明治5年郷社に指定され、明治43年に旧上神谷村内の9社を合祀し現在に至っています。
ただし、当社が武士階級の崇敬をうけたのは、式内・桜井神社としてではなく、武家の守護神としての八幡大神に対する崇敬からでしょう
 
【国神社について】
延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 国神社』とある式内社で、明治末期の神社統廃合政策によって式内・桜井神社に合祀されましたが(1910)、その旧址とされる南区鉢ヶ峰寺には小さな祠が残っているそうです
 更に社伝によれば「垂仁天皇8年、天照大神鳳凰と化して襲峯に降臨あり。景行天皇24年、神託により、武内宿禰に命じて社殿を造営した。同55年、神鳳が千種森に移った。今の大鳥神社(大鳥美波比神社)之なり」とあり、大鳥神社の元社とみられるような伝承が残っています。
また、出雲大社の祭神である大国主命が妻にした活玉依媛 (いくたまよりひめ)は、大陶祇の娘で、
大陶祇の居住地は当地に近い
古代の陶邑(すえむら:多数の窯跡が分布していた)であったことから、この地にオオクニヌシが天降ったとして、当地を大和の三輪と同じく神郷(ミワゴウ)と呼び、オオクニヌシを祀って国神社と称したのでしょう
 その後、アマテラスを配祀したことから祭神・オオクニヌシが忘れられ、単にオオクニヌシに因(ちな)む社名・国神社のみが残ったのではないか」と記しています(オオクニヌシ妻問い伝承の出典不明)。


【山井神社について】
延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 山井神社 鍬靫』とある式内社で、明治43年(1910)、式内・桜井神社に合祀されたといいます。
当社の創建由緒・年代等の詳細は不明だが、大阪府史蹟名勝天然記念物によれば、大字栂部落(おおあざとがぶらく)の南方にある村社で、俗に天神と称されていましたが、式内神社にして傍(かたわ)らに清泉があったことから山の井の名になったそうです
祭神は美豆波之女神(ミズハノメ)といい、イザナミ命の生んだ水神だそうです。
恐らく祭神も神社名と同様に、神社にあった清泉に因(ちな)むものでしょう。ですが確証がないので、大阪府誌・大阪府全志は“祭神不詳”としています。
旧鎮座地は、桜井神社の西約200mの南区栂町の辺りにあったようですが、今は住宅地化していてその痕跡はないそうです。
 
【末社について】
私が現地で確認したのは、本殿(式内)・山井神社(合祀)・国神社(合祀)・稲荷神社(末社)・戎神社(末社)だけですが、
実際には中門の奥に祀られた式内・国神社・同山井神社の他に、末社は13社あるそうです。
稲荷・戎と私は見落としました招魂社は境内にそれぞれ別社として祀られているのですが、他の10社は本殿に合祀されているためにその社は無いようです。
●末社の祭神
八坂神社(須佐之男命)・若宮神社(仁徳天皇)・高良神社(高良大神)・武内神社(武内宿禰)・多賀神社(伊射奈伎命)・玉桂屋神社(玉桂姫命)・住吉神社(住吉大神)・市杵島神社(市杵島姫命)・春日神社(天児屋根命)・菅原神社(菅原道真)・稲荷神社(保食神)・戎神社(蛭子神・事代主命)・招魂社(氏子戦死者183柱)
イメージ 1
桜井神社の本殿・国神社・山井神社
 
イメージ 2
末社の戎神社
 
イメージ 3
末社の稲荷神社
 
 
イメージ 4
桜井神社の社務所

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