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桜井神社の起源は水神?→桜井という井戸
桜井神社の真実はどれ?→謎解きは面白い
鳥居でなくなぜ神門?→神社建築の特徴とは
いみことば:名子氏→神道は仏を語らず容認
桜井神社の歴史→神社と神宮寺と織田信長
古来より残る神社の割拝殿→堺唯一の国宝
昨年夏に取材した桜井神社の紹介は、前回をもって終了です。
ですが、今年2014年1月4日にも、桜井神社に出掛けています。我が家からさほど遠くない場所にある桜井神社ですが、正月に出掛けたことはありません。
なのでどれ程の賑(にぎ)わいなのかを見に行ったわけです。
結論から言えば、人影はまばらでした。でも4日の事ですから三賀日は賑やかなのかもしれません。
境内には戎神社も末社としてありますので、その事を告げるのぼり旗が道沿いにいくつも立っていました。力点はもう十日戎に移っていたようです。
そんな訳で、この日の桜井神社の様子は撮影しませんでした。
かといって寒風の中、ワザワザ出掛けたのですから、手ぶらでは帰れません。
帰りがけにせめてもの手土産として『桜井古跡』を取材しました。
それは桜井神社の西を流れる妙見川の西岸にあり、石の鳥居の奥に、生け垣に囲まれて一基の井戸があります。
【桜井古跡にある説明板の記述】
説明板には、「桜井井戸と呼ばれ、悠久の昔より桜井神社御祭神に深い縁故を有し、古来夏祭りに御神幸あり、和泉名所図会(1796)にも登載の古跡である。
常に清水湧出して枯渇することがなかったが、明治18年(1885)の大洪水により河川氾濫し埋没、大正4年(1915)復元、更に平成元年(1989)妙見川拡幅・宮橋掛け替え工事の竣工により、整備保存されたが、井戸は現存しない。」と記されています。 和泉の式内社/桜井神社(堺市南区)の紹介するところによると、
桜井古跡は社名・桜井の由来とされる“桜井”を想定し、その石囲いのみを復元したもので、井戸穴も井戸水も無いようです。古資料にも
・境内に井戸有り。之を桜井と云ふ−−泉州志(1700) ・桜井址 古来有名なる桜井は境外にあり。今は全く井の形なし」−−大阪府史蹟名勝天然記念物(1931) とあるそうですが、。ただ、曾(かつ)ての『桜井』と称する清泉が、現在の『桜井古跡』のある場所にあったかどうかは不明さそうです。 前回のページで、紹介した「当社の遠縁を桜井の井戸とすれば、古代農耕に必要な水を司る水神とみることもできる。」との根拠は、嘗ての『桜井』にもとずくものたったのです。
桜井古跡の全体像
桜井古跡の説明板
鳥居をくぐると敷石の軌道とその向こうに再建された桜井 |
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