|
開口神社は堺の歴史→奈良時代から
塩.海.神助けの神→神塩土老翁神
龍神の化身?→開口神社手水鉢の像
スサノオは天界を追放され→守り神に
住吉大社第四神と→松風&舳松神社
コーヒーブレイク?が→泉陽高等学校
堺の幼稚園発祥の→記念碑は必要?
開口神社の境内に→他にもこんなもの
三宝荒神は日本独自の神様→竈神社
風鈴・日常の風景・淡路島→山本梅史
開口神社の薬師社→薬師如来は神?
唯一神明造りと大社造り→そのルーツ
纒向遺跡まきむくいせき→新事実発表
貧乏神が石になって→福の神になる?
桜井神社の起源は水神?→桜井古跡
スサノオ妻の母を祀った?→起源の真実 イザナミ孫の神社→三宝荒神の神社に
霰松原神社にある物→3社・楠・忠魂碑
蜂田神社から→藤原氏と天皇と話神を
新年への架け橋→ビル上から明石大橋
2013年を振り返る→当サイトの画像 菅原神社には随神門と呼ばれる門があります。
ウィキペディアの記述によると、「随神」ではなく「随身」という言葉があり、意味としては平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことだそうで、随神門の「随神」も、「随身」に由来するようです。
警護をするには当然武器を携帯しているはずですので、「随身」から「随神」という言葉が生まれたと言われてみれば、菅原神社の随神門にある「随神像」(菅原道真像)は、剣・弓・矢を持っています。
そして一般に神社などにある随神門とは、、神を守る者として安置される随身姿の像が安置された門のことで、社の門のうち、門の左右に随身(随神)を安置した門のことを「随神門」と呼ぶのだそうで、お寺の大門などに安置されている金剛力士像は「随神」とは言いません。
ただし、神仏融合がなされた寺院では、おかしな現象もあります。
例えば、栃木県にある太平山神社の「随神門」には、表には「随神像」、裏には仁王像が配されているそうです。
ここ菅原神社も度重なる火災がなく、古くからの門のままだったなら太平山神社の「随神門」のように、裏には仁王もしくは今後力士像が安置されていたかもしれません。
現在の菅原神社の「随神門」には、表に菅原道真公の「随神像」、裏には小西行長の手植えとされる「傘松の幹」と浜寺公園にあった「千両松幹」が安置されています。
ところで一つ言いたいことがあります。ここに安置された菅原道真の「随神像」は金網だけではなく、ガラスで囲われて保護されていますが、そのガラスが汚れで曇っていて「随神像」がよく見えません。
ご祭神がよく見えないのではダメだと思うのですが・・・・綺麗に磨かれていれば、参拝客はぐっと増えるのでは?
ちなみに、菅原神社のホームホームページには、以下のような記述があります。
【随神門】
1652年(慶安5年)に建立。その後、火災に遭ったが焼失を逃れた。1677年(延宝5年)に堺の鉄砲鍛冶、榎並屋勘左衛門の寄進によって仁王門が造営されたと伝えられている。この随身門は、1966年(昭和41年)、大阪府の有形文化財に指定されている。門の左右には剣と矢を帯びた高さ1.5メートルの檜造りの坐像、随身像が守っている。 菅原神社 西側の石の鳥居と随身像
随身像
唐獅子があんな処に
傘松の幹(樹齢1000年)
小西行長の手植えとされる「傘松の幹」
随身門(境内側から撮影) |
全体表示
[ リスト ]




