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〜大鳥大社:ご祭神の変遷(2014年1月4日&2月15日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ
再び、正月の神社詣の話に戻ります。
大鳥大社(正式名:大鳥神社)は、大阪府堺市西区鳳北町にある式内社。和泉五社の一つで和泉国の一宮です。旧社格は国や朝廷から貢ぎ物を免除された官幣大社でしたが、現在は一定の規模をもつことなどにより、神社本庁より別表神社(大阪府には12社あります)に認定されています。
全国の大鳥神社、「大鳥信仰」の総本社とされていて、その歴史は古く、大鳥造の本殿は古代神社建築の一つです。
ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と大鳥連祖神 (おおとりのむらじ の おやがみ)です。
【大鳥大社 祭神の変遷】
元来の祭神は大鳥連の祖神だったそうですが、天照大神とされた時もありました。
その後、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする神仏習合思想の時代(奈良時代から明治時代以前)には、天照大神の権現として釈迦如来を祀っていました。その後、祭神は天照大神に戻されるのではなく、日本武尊とする考えが定着した。これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられているそうです。
以来、長い間にわたって日本武尊を祭神としてきましたが、明治29年(1896年)に政府の祭神考証の結果を受けて、大鳥連祖神に祭神を変更されました。
ところが、昭和36年(1961年)には、再び日本武尊も祭神に加えられ、現在に至っています。
そのことが理由でしょうか、1枚目の画像(大鳥大社西側の入り口にある大鳥居の右手前)に写る大鳥大社と刻まれた石碑には、昭和36年に設置されたことが記されていました。
【注】
大鳥連は中臣氏(なかとみうじ)と同じく天児屋命(あやまこやね)を祖神としていたので、大鳥連祖神は天児屋命ということになります。
各神の祭祀については、大鳥氏が単に一宮の神官であったというには、後世の倭武伝説を差し引いたにしてもその変遷ぶりはめまぐるしく、謎めいています。大鳥連の、領主あるいは神官という職業以外の何らかの役割を古代豪族社会で担った可能性も含め、今後も検証が必要なのだそうです。
【日本武尊について】
日本武尊は、生まれ持つ神かがり的な力で古代日本国土を平定し、天皇家の国土の支配体制を固めました。古事記・日本書紀の世界では、日本を代表する英雄ですが、反面、その反省は悲劇そのもので、戦いに明け暮れて力尽き、孤独にその短い人生(30歳位)を終えました。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が死後白鳥となって最後に留まったのが大鳥の地で、周辺の人々が白鳥をお祭りするために建てたといわれています。
境内約1万5千坪には種々の樹木があり千種の森(ちぐさのもり)と呼ばれています。
4月13日に行われる「花摘祭」は、花の季節に色を添える古式ゆかしい行事の一つで、平安時代に無病を祈願して始まった祭りが現在の花摘女に受け継がれています。また、10月にはだんじり祭りが秋祭りとして行われます。
大鳥大社西側の大鳥居
大鳥居右側の社名石碑
大和武尊が再び祭神となった昭和36年に建立 手水舎(魚眼装着撮影)
拝殿前の鳥居(魚眼装着撮影)
拝殿前の鳥居(魚眼なし) |
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