|
〜大鳥大社:拝殿と日本武尊物語 1(2014年1月4日&2月15日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ
引き続き大鳥大社のご紹介ですが、今回のページでは、拝殿を正面から見た画像として、魚眼を装着した画像と、広角レンズ単体での画像を紹介し、お話としては大和武尊について、より詳しくご紹介したいと思います。
日本武尊は第12代景行天皇の子として誕生しました。幼名は小碓命(おうすのみこと)で、兄の大碓命(おおうすのみこと)とは双子という説もあるそうです。
ある日,景行天皇の宮に呼ばれた大碓命(兄)は、美濃の国にいる兄比売(えひめ)と弟比売(おとひめ)の姉妹をつれてくるよう命ぜられ、兵を連れて美濃に出かけます。
姉妹に会ってみると、ても美しい娘たちだったので、大碓命は自分の下に置くために、父の前には別の娘を差し出してごまかそうとしました。
しかし、このことが景行天皇に知られ、大碓命(兄)は天皇にあいづらくなり、朝夕の食事にも同席しませんでした。
そのことで景行天皇は怒り、弟の小碓命に食事の席に出るように諭してくるように命じました。
小碓命は早々に兄に会い、説得しても大碓命は父の前に姿を現しません。
景行天皇が小碓命にどのように諭したのかをたずねると、公然とこう答えたそうです。
「兄が朝かわや(トイレ)に入ったのを見て手足をもぎ取り、体を薦(こも:わらを編んで作ったむしろ)に包んで投げ捨てました。」と。
これより以後、景行天皇は小碓命を嫌うようになります。
小碓命16才のとき、景行天皇は、神々の命に従わない熊襲建(たける)兄弟が治める九州の熊襲(くまそ)を平定するように命じます。小碓命が到着してみると、大きな家を新築した祝いの宴のさなかでした。
そこで、もともと色白で美しい小碓命は、勇猛で知られる熊襲建を討つため髪を結い、小袖を着て少女の姿で宴に紛れます。
酒を飲んで上機嫌になっている兄弟の前に目にとまるような仕草をして小碓命が進み出ると、熊襲建の兄が声をかけ、そばに座らせた後、自分の膝の上に抱きかかえようとしたとき、小碓命はこぞどかりに持っていた短刀で熊襲建の兄を一気に斬り殺してしまいました。それを見て逃げ出ようとした熊襲建の
小碓命が16才のとき,父景行天皇は九州の熊襲(くまそ)を平定するように命じた。熊襲建(たける)兄弟は武勇に秀でていたが,大王の命に従わおうとしないので,征伐することになったのです。
到着してみると、九州の熊襲建は大きな家を新築したばかりで祝いの宴が催されていた。
そこで色白で美しい小碓命は、少女のように髪を結い、叔母(倭比売)からもらった小袖を着て宴に紛れ込みました。
酒を飲んで上機嫌になっている兄弟の前に進み出て目にとまるような仕草をした小碓命を、熊襲建の兄が声をかけてそばに座らせ、自分の膝の上に抱きかかえようとしたその時、小碓命はここぞどかりに持っていた短刀で兄を一気に斬り殺してしまった。
すると、それを見て熊襲建の弟は外に逃げ出ようとしたため背中から刀を刺したところ、この西の国では誰よりも強い我らだが、倭の国にはより強い者がいたと、いまわのきわに自分たちの「建」の名をもらってほしいと言い残して息をひきとりました。
こうして小碓命は倭建命(やまとたけるのみこと)を名乗ることになったのです。
(「建」は勇敢な者という意味)
倭建命(やまとたけるのみこと)となって大和に戻る途中も出雲の国を平定し、山の神、川の神、河口の神などに従わない者たちを征伐しました。
次回につづく。 大鳥大社 拝殿
魚眼使用 (1月4日撮影)
初詣の参拝者で賑わっています。 大鳥大社 拝殿
魚眼使用 (2月15日撮影)
拝殿の切り妻屋根は、この画像で見るように太鼓状(むくり屋根)ではなく、実際にはこの下の画像のように直線の妻です。
太鼓状に見えるのは、魚眼を使用しているからですが、大阪南部海側の泉州地域の現在の民家の屋根には、実際にこうした太鼓状の屋根が多いので、私的には違和感のない情景なのですが・・・・。
大鳥大社 拝殿
広角レンズのみ (2月15日撮影)
大鳥大社 拝殿
魚眼使用 (2月15日撮影)
日本武尊が死して白鳥となり飛び立った伝説にのっとって、お賽銭箱には鳳凰の紋があります。
【白鳥伝説の大鳥神社と鳳凰について】:
この地は古来から近代まで「大鳥」と呼ばれ、日本書記にも大鳥と標記されているそうです。
その後、明治時代になって村の名前を制定する時に、めでたい鳳凰(ほうおう)にあやかって、
鳳(おおとり)と表記したものだそうです。 つまり、どうせなら紋も鳳凰にと言うことですね。
大鳥大社 拝殿
魚眼使用 (2月15日撮影) |
全体表示
[ リスト ]




