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〜大鳥大社:平清盛・重盛親子が献上した神馬と和歌
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ(2014年1月4日&2月15日)〜
平清盛と言えば、公家が支配していた平安時代の末期に、武士として初めて武力だけではなく、政権を握り(太政大臣に任ぜられ、)、娘徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」(『平家物語』)と言われる時代を築いたことは、学校の授業やNHKの大河ドラマなどでご存知の方も多いはずです。
その平清盛が、重盛(清盛の子)と共に熊野参詣の途中、都にて兵乱あるとの急報を聞いて都に帰る途中、ここ大鳥大社に戦勝祈願のため立ち寄り、和歌と神馬を奉納しているそうです。
その和歌は、
かよいこぞよ 帰りはてなば 飛びかけり 育(はごく)み立てよ 大鳥の神
というもので、意味は、
「熊野詣でから帰る途中に立ち寄ったのですが、京で反乱が起きたので急いで帰らなくてはなりません。大鳥の神の力で羽ばたき勝利できますように、平氏一門を見守ってください。」 というこらしいのですが、さてその京の反乱とはどの乱のことでしょう。
1086年の白河上皇による院政開始以後、朝廷には院と天皇との勢力争いが激化し、この二つの勢力争いに源氏と平氏の2大武力が介入した保元の乱が起こります。そして更にその3年後(1159年)に、平治の乱が起こります。
どうやら和歌に詠んだ京の反乱とは、この平治の乱を差しているようです。
平清盛が寄進した神馬をかたどったとされる像
神馬の腹部には例によって鳳凰の紋があります。 平清盛が戦勝を祈願して詠った和歌を刻んだ歌碑
かよいこぞよ 帰りはてなば 飛びかけり 育(はごく)み立てよ 大鳥の神 平清盛 歌碑の説明板
平清盛ゆかりの歌碑ですが、実は全体像はこんな感じなのです。
もう少し名所らしくしてほしいです。無粋なナイロンロープで・・・なんて余りに・・・。 |
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ナイロンロープは惨無いですね〜〜!

大鳥大社…行った事ないです
凄い歴史なんですね〜〜(@O@)
2014/3/2(日) 午前 0:11
ピンキーさん
コメントありがとうございます。
そうなんです。歴史は凄いのに、管理面はほんともう少し何とかならないかと、思うことしきりです。
2014/3/2(日) 午後 7:57 [ 上から目線 ]