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〜大鳥大社:与謝野晶子が詠んだ短歌
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ (2014年2月15日)〜
お知らせ:このページは3月26日に題名などを訂正しました。短歌は和歌の一形態だそうです。
与謝野晶子と言えば、情熱の歌人として知られていますが、それは、歌集『みだれ髪』で、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い、浪漫派歌人としてのスタイルを確立したことからそう呼ばれているのですが、
文学に明るくない私のような者には、その詳細をよく知っているわけではありません。
現代史の中で、上辺の情報を得ただけの者にとっては、彼女がうたったのは、短歌というイメージしかありませんでした。ですが実際には、詩や和歌を数多く発表しているのですね。
誰もが知る彼女の有名作品としては、歌集『みだれ髪』(1901年)や、日露戦争の戦時中、国を守るためなら命を惜しむことも許されなかった世相のさなかに歌った『君死にたまふことなかれ』が有名ですね。他にも『源氏物語』の現代語訳でも知られるそうですよ。
そんな与謝野 晶子が、ここ大鳥大社を詠んだ和歌(短歌)がありまして、大鳥大社にはその歌碑も有ります。
それはこんな和歌(和歌)です。
和泉なる わがうぶすなの 大鳥の宮居の杉の青き一むら
意味としては、
「和泉にある 私の守り神様の 大鳥の宮居は 杉で覆われた一つの青き群がりであることよ」
かな?私の解釈では。
【うぶすな→うぶすながみ(産土神)とは】
神道において、その者が生まれた土地の守護神を指す。その者を生まれる前から死んだ後まで守護する神とされ、他所に移住しても一生を通じ守護してくれると信じられている。産土神への信仰を産土信仰という。
氏神と氏子の関係が血縁を基に成立するのに対し、産土神は地縁による信仰意識に基づく。従ってその意識が強く表れるのは都市である。例えば京都では同族集団の結束が弱まり、地縁による共同体意識が形成されると共に、中世には稲荷神社、御霊神社、賀茂神社、北野神社などの有力な神社を中心に産土神(うぶすなしん)を基にした産子(うぶこ)区域の観念が発達した。 与謝野 晶子は、1878年(明治11年)12月7日に現在の大阪府堺市堺区甲斐町西1丁)で老舗の和菓子屋の三女として生まれた。本名は与謝野 志よう(よさの しょう)。旧姓は鳳(ほう)だそうです。
彼女の生家から見て、ここ大鳥大社は、意外に近い位置にあります。
なので彼女は幼い頃から はしばしば訪れたに違い有りません。
きっと歌碑に刻まれた和歌は、大鳥のお宮で戯れ青春の日々を過ごし、守り育てられたことに思いをはせて詠まれたのでしょうね。
ことに大鳥大社のある辺りは、鳳(おおとり)町です。与謝野晶子の旧姓が鳳(ほう)だなんて出来すぎですよね。
歌碑には、「時事新報」大正 3年(1914年)1月1日号の「社頭の杉より」と記されています。
するとこの和歌(短歌)は、以下の【与謝野晶子について】を見ればおわかりのように、晶子36歳(鉄幹と出会って14年後)の歌ということになりますね。
【与謝野晶子について】
与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年12月〜 1942年5月)は、日本の歌人、作家、思想家。
ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。
鳳志ようは、堺県堺区甲斐町西1丁(家業は没落しかけており、3人目の女の子であったため両親から疎まれて育つ。実の兄にはのちに電気工学者となる鳳秀太郎がいた。9歳で漢学塾に入り、琴・三味線も習った。堺市立堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)に入学すると『源氏物語』などを読み始め古典に親しんだ。また兄の影響を受け、「十二、三のころから、『柵草紙』(後には『めざまし草』)『文学界』や紅葉、露伴、一葉などの小説を読むのが一番の楽しみ」(『明星』1906年年5月)であった。
20歳ごろより店番をしつつ和歌を投稿するようになる。浪華青年文学会に参加の後、1900年(明治33年)、浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。翌年家を出て東京に移り、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』を刊行し、浪漫派の歌人としてのスタイルを確立した。のちに鉄幹と結婚、子供を12人出産している(うち1人は生後2日で亡くなる)。
大鳥大社にある与謝野晶子の歌碑
大鳥大社にある与謝野晶子の歌碑の石板
ちなみにこの日は小雨で歌碑も濡れています。
大鳥大社にある与謝野晶子の歌碑の説明板 |
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堺の鳳町…大鳥とは字が違っても同じ読みなのは
何か関連あるんだろうな〜〜!
こうしてみると身近に有名人・著名人多いんだな〜w(゜o゜)w
2014/3/2(日) 午前 0:17
ピンキーさん
重ねてのコメントありがとうございます。
〜大鳥大社:拝殿と日本武尊物語 1(2014年1月4日&2月15日)〜
の画像に説明書きを入れていますが、
神社が鳳で、地名が大鳥なのは、
この地は古来から近代まで「大鳥」と呼ばれ、日本書記にも大鳥と標記されているそうです。
その後、明治時代になって村の名前を制定する時に、めでたい鳳凰(ほうおう)にあやかって、
鳳(おおとり)と表記したものだそうです。
つまり、どうせなら紋も鳳凰にと言うことなのです。
2014/3/2(日) 午後 8:18 [ 上から目線 ]