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〜石上露子 誕生と宿命(富田林市寺内町)
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ/富田林市寺内町編 (2013年8月29日)〜
信長軍との戦いを避けた→富田林市寺内町
前書き:このページは、ブログ村 『おすすめ小説トーナメント2』にエントリーしました。ここに記されている小説は、その背景を知れば、どれも面白い小説だと思います。 〜富田林市寺内町をトンボ目線で:旧杉山家住宅と石上露子〜でご紹介したように、富田林市寺内町の旧杉山家は、石上露子(本名杉山 孝(すぎやま たか)さんの生家です。
彼女の生立ちは、山崎豊子の小説『花紋』の主人公のモデルの境遇と石上露子さんの生涯とは重なる部分が非常に多く、同作の婦人公論での連載中からも主人公のモデルであるといわれていたそうです。
ただし著者は「そのままのモデルではなく、女神のごとき女流歌人の背後に悪魔の声と姿のイメージを創り上げた」と否定しているそうです。(中央公論社初版あとがき)
でも小説『花紋』が石上露子さんの生涯をベースに書かれたことは間違いないようですね。
念のためお聞きしますが、山崎 豊子(やまさき とよこ)さんならご存知の方は少なくないですよね。
山崎 豊子さんは、妥協を許さぬ徹底した取材をもとに超大作の長編小説を書くことで有名で、代表作の、花のれん、白い巨塔、華麗なる一族、不毛地帯、大地の子、 沈まぬ太陽 の題名を聞けば、ほとんど方が、「そのお話なら知ってる。」と思われることでしょう。
逆に言えば、そんな山崎 豊子さんが小説のモデルにするほど石上露子さんは印象深い、優れた詩人だということになります。
旧杉山家住宅の向い側には、『寺内町センター』という資料館があり、ここに山崎 豊子さんに関する記述がパネルで展示されています。
今回から4回に渡って、その山崎 豊子さんに関するパネルの内容をご紹介したいと思います。
石上露子(いそのかみつゆこ)Ⅰ 誕生と宿命
石上露子、本名杉山 孝(タカ)は明治15年(1882)6月11日、富田林寺内町の旧家杉山家の長女として誕生した。
寺内町とは、戦国時代、一向宗の勢力を借り、民衆の手によって開発された宗教自治都市である。
杉山家はこの寺内町開発にたずさわった「八人衆」の系統を継ぐ家といわれ、江戸時代に酒造業で財をなした。
富田林の酒屋の井戸は、底に黄金の水が湧く
一に杉山 二に佐渡屋 三に黒さぶ金が鳴る
と子守歌に歌われるほどの権勢を誇っていた。町割の一画を占める広大な屋敷と、町内ほか10か村、約57町の田畑を所有する南河内随一の大地主であった。
杉山家では江戸期以来の豊かな財力と都市的文化の伝統が代々に受け継がれ、孝の父團郎、祖父長一郎ともに風雅の道に通じた教養人として一族の尊敬を集めていた。
母奈美も東大阪の旧家出身で、漢学の素養ある女性であった。孝が生まれた頃、祖父が再婚し、孝と年齢のかわらない叔母達が誕生した。
孝の3つの年下には妹清(セイ)がいたが、嫡男(ちゃくなん)はなく、婿養子(むこようし)を迎えて家督を継ぐ運命を背負っていた。孝13歳の時、母が実家へ復籍(婚姻・養子縁組で他の戸籍に入った者が、離婚・離縁などによって、もとの戸籍にかえること。)し、2年後父が再婚した。
明治33年(1900)頃、家庭教師 神山薫の引率で東都見学に上京した際、孝はある青年と出会った。翌年、青年は富田林を訪ね、高野山や和歌浦に逍遙(しょうよう:気ままにあちこちを歩き回ること。そぞろ歩き)した。
しかし二人の交際は制限され、青年がどこか遠い国へ旅立ったことさえ知らされなかったらしい。
晩年彼女がつづった自叙伝「落葉のくに」には、孝の婚姻をめぐって親族間で対立があったことを記している。
旧家の呪縛、複雑な家族関係の中での孤独感、異性への思いを抱えながら、孝はこの苦悩からのがれ、自分の歩むべき道を文筆活動に求めた。
そして、ここに登場する青年こそ、 〜富田林市寺内町をトンボ目線で:旧杉山家住宅と石上露子〜でご紹介した詩『小板橋』で歌われた石上露子の思い人です。
寺内町センター
寺内町センター入り口
石上露子Ⅰ 誕生と宿命のパネル |
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此処は知ってる♪
通った事あるわ(*^o^*)/
主人が街道歩きがすきなのと富高だったので結構周辺ウロウロしてます(=^x^;=)ノノ
2014/3/23(日) 午前 8:13
ピンキーさん
そうですか、結構ご近所の方のようで、散策する場所も似ていますね。
ひよっとしたら、どこかでお会いするかも。
2014/3/24(月) 午後 11:10 [ 上から目線 ]