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〜石上露子 目覚めと挫折 「明星時代」(富田林市寺内町)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!歴史探訪シリーズ/富田林市寺内町編
信長軍との戦いを避けた→富田林市寺内町
今回は石上露子の「明星」時代のエピソードです。
与謝野晶子が反戦歌『君死にたまふうことなかれ』を発表したことは有名ですが、石上露子はその発表より先に反戦歌を発表しています。こうして文壇に目覚めたものの、時代の流れと家督相続のため文壇を去らなければならず、夢は挫折したことを、2枚目のパネルは紹介しています。
石上露子(いそのかみつゆこ)Ⅱ 目覚めと挫折 「明星時代」
明治36年(1903年)、孝は与謝野鉄幹が主宰する新潮社の社友になり、同社の雑誌「明星」に短歌、小説を寄稿した。
君が門をわれとおそれに追はれきて姿さびしうのにまようふ日や
蝶ならば袂(たもと)あげても僕(う)たむもの幸なう消えし恋の花夢
世にそひてつくれる媚(こび)のわびしさもよりて泣くべき母はいまさぬ
(「明星」明治36年10月号)
彷徨する(あてもなく歩きまわること。さまようこと)孤独な心。はかない恋の夢、青春の絶望や嘆きを、古典的な情趣(しみじみと落ち着いた気分やおもむき)を下敷きにして短歌に託する手法には、与謝野晶子や山川登美子ら新詩社の女性歌人たちが競って歌った浪漫主義の影響が色濃く見受けられる。
石上露子 いそがみ・つゆここの名は孝の新詩社でのペンネームである。
孝は、赤十字社や愛国婦人会、女性啓蒙団体である浪華婦人会に入会し、「夕ちどり」の名で「婦女新聞」「婦人世界」など女性総合誌にも盛んに投稿した。
慈善音楽会や出征軍人家庭のための実際活動などに積極的に参加しながら、自我を抑圧されている女性が「良妻賢母」の名のもとで無意識にあきらめ、屈従者にされていると主張した。
日露戦争が始まった明治37年(1904)、露子は『明星』7月号に、
みにくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる
ボランタリーライフ.jp - シニア文化塾だより -この短歌の解説を紹介
(日露の激しい戦いの報を聞くと私の胸は痛む。今宵は誰が戦死するのだろうかと思うと、なんともいえず寂しいので、私の髪を乱して吹いて過ぐる風の彼方に瞳を凝らすことだ。)を発表した。与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」が発表される2か月前のことである。
彼女は進歩的な父の影響もあって、社会の矛盾に目を向け、地主としての境遇に罪意識を感じるようになった。
伊藤野枝や竹久夢二ら社会主義者と交流があり、『大阪平民新聞』に基金を寄付している。
この新聞の主宰者 森近運平は、後の大逆事件に連座して処刑されている。
明治40年(1907)12月、孝は入り婿(むこ)片山荘平(のち長三郎)を迎え、旧家の後継としての義務を守る道を選択した。詩「小板橋」と短編 5首を「明星」に発表した後、石上露子の名は消え、
いつしか文壇からも忘れられてしまった。
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(いそがみつゆこ)となってますが(いそのかみつゆこ)ではありませんか
2016/2/6(土) 午後 3:12 [ toe*jp ]
toe*jpさん
ほんと「の」抜けですね、「ま」抜けよりましかな?
ご忠告ありがとうございます。
2016/2/6(土) 午後 8:28 [ 上から目線 ]