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〜富田林市寺内町をトンボ目線で:中村家住宅(屋号:佐渡屋)
府指定文化財 中村家の屋号は、佐渡屋です。佐渡屋といえば思い出すのは、 富田林の酒屋の井戸は、底に黄金の水が湧く
一に杉山 二に佐渡屋 三に黒さぶ金が鳴る
の中に歌われた佐渡屋ですよね。確かに現地で人の目線で中村家住宅を見れば、当時の繁栄が偲ばれる風格あるたたずまいです。
実際、ネット上や地元のパンフレットで紹介されている中村家住宅の姿は、以下に紹介する1枚目の画像と似たものです。でも現在のその全貌も知りたいですよね。
そこで私の機材でこちらの屋敷の全貌をトンボ目線で撮影してみたわけですが、古き大きな屋敷を維持することは、いかに大変かがうかがえる画像となりました。
その撮影が良かったのか悪かったのかは、以下にご紹介する画像を見て、みなさんが判断していただきたく思います。
今となっては、当時の姿にはほど遠い姿ですが、広大な敷地に、煙抜きのある主屋、間違いなく壮大な屋敷であったことは、疑う余地がありません。
できることなら当時の姿を修復してほしいですが、観光を当てにするには、そうした地域も最近は多く、現実はそう甘くないですよね。
絶頂期もなかった私が言うのもなんですが、石上露子の生涯や中村家の時代を経た姿といい、何か考えさせられませんか?
皆さんもこのブログもしくは現地を観光したなら、単なる物見遊山(ものみゆさん)だけではなく、今の時代、自らの今を思い、時代の流れ、自らの歩みを顧み、今後に生かすきっかけになればいいなと、個人的には思ったりするのですが、ちょっと大げさですかね。
【中村家住宅 説明板の記述】
当家は屋号を「佐渡屋」といい、酒造業を営んでいた。代々徳衛兵を名乗り、寺内町八人衆を勤めたと伝えられる。正徳5年(1715)に酒造株を取得してからは、造り酒屋としりて著しい発展を遂げ、天明5年(1785)の酒造米高は、河内国で最高の2135石に達した。
寛政4年(1792)には江戸市場を対象とした酒造業の理事長にあたる「河内一国江戸積大行司(かわちいっこくえどづみだいぎょうじ)」となった。
主屋の建築年代は、普請入用帳から天明2〜3年(1782〜83)であることがわかっており、主屋西側の店部分、南に続く3室の別屋敷も同時期のものである。
この屋敷には、文人墨客(ぶんじんぼっかく)が多数訪れ、長州藩士吉田松陰もそのうちのひとりといわれている。
中村家住宅
こんな魚眼での撮影ではないですが、公に紹介されている中村家住宅の画像は、こんな感じです。
2013年8月29日撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16 F28+VCL-ECF1
人目線
中村家住宅
富豪の民家は防犯のためか、さすがに塀が高いですね。
高さを上げて見ると、主屋の様子が見えてきました。でも想像とは違う姿が・・・・。
2013年8月29日撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28+VCL-ECF1
高さ5メートルから撮影
中村家住宅
電線が無ければ、下に紹介している
9メートルの高さから撮影した画像の方がいいと思うのですが、
結果的には電線が写っていないこの画像がベストショットでしょうね。 2013年8月29日撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28+VCL-ECF1
高さ7メートルから撮影
中村家住宅
電線が手前に写っています。ここに止まる雀は、こんな光景を見ているんですね。
それにしても凄い住宅ですね。いったい屋根は何段重なっているの?と思ってしまします。 2013年8月29日撮影
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28+VCL-ECF1
高さ9メートルから撮影 |
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