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〜岩湧の森:岩湧の森の歴史と伝説 (2014年5月6日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!岩湧きの森編
岩湧の森と刻まれた石碑を過ぎ、四季彩館や岩湧寺へと向かう林道を行くと、縁結び地蔵の祠があります。
遠い昔から我が国で信仰されてきた地蔵信仰がこの地にもあり、その信仰対象としての石地蔵を、林道の整備の折りに新たな祠に安置しているのでしょう。
縁結び地蔵を過ぎるとすぐに行者の道と名付けられた登山道への分岐点があり、この道に進路をとると、今度は雨乞い地蔵の祠があります。
雨乞い地蔵の祠の左脇には豊富な水量の長寿水と呼ばれる水場があり、祠の右脇には雨乞い地蔵についての説明板があります。
私が岩湧の森に訪れた5月6日の当日、この長寿水を多数の4リットルのペットボトルに汲んでいる方がおられました。お話を聞くと炊飯やお茶などの生活用水に使うとのことで、ここには、飲食店の方も汲みに来ているとのことでした。
では説明板の記述をご紹介します。
【雨乞い地蔵の云われ】
役の小角(えんのおずぬ)が修行したこの山に、岩湧寺が建立され、その参道に一町ごとに十体のお地蔵様を祀り、十町地蔵として信仰したそうな。
或る年、紀州や河内地方が大旱魃(だいかんばつ)に見舞われ、困った村人が山に登り雨乞いをしたところ天狗が現れ、錫杖(しゃくじょう)で一突きしたら、こんこんと水が湧き出て人々を救ってくれた。
それが現在の長寿水です。
最近 参道を清掃中に、奇(く)しくも一体の地蔵尊を発見したので感謝と祈願をこめて雨乞い地蔵尊として安置す。
自然の恵みである霊水を、大切にいただき、絶えることのないよう守ってもらいましょう。
付け加えると、私は今回訪れなかったのですが、岩湧寺の西側の沢沿いには、臥龍洞 (がりゅうどう)という亀裂のような洞窟があるそうです。
「昔、この洞窟に住む龍が村人たちの田畑を荒らし、困っていたところを岩湧寺の僧侶が法力で龍を退散させたという伝説が残っています。
付近には杉が天高く茂り、荘厳な雰囲気を漂わせています。」と紹介されています。
そして現代、岩湧の森 四季彩館が、穏やかなる森の魅力を伝えてくれる案内所であり憩いの館として、訪れる人々を出迎えてくれます。
【地蔵信仰の歴史】
古代インドから発祥した仏教の信仰対象だった地蔵菩薩が飛鳥時代に日本に伝わり、貴族と平民の間に大きな貧富の差ができた平安時代には、浄土信仰が普及しました。
それは裏を返せば極楽浄土に往生の叶わない者は、必ず地獄へ堕ちるという信仰でした。
決して現世で幸せ(往生)がかなえられなかった人々のあいだで浄土信仰や末法思想(諸寺の腐敗や僧兵の出現によって退廃するという仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したという思想)が広がると、地蔵に対して、地獄における責め苦から仏の力で救済されることを願い求めるようになったそうです。
更に過酷な世の中になると、我が身が救われないなら、せめて我が子だけでもと、あの世とこの世を隔てる三途の川の岸に広がる賽の河原で獄卒(ごくそつ:地獄で死者を責めるという悪鬼)に責められる子供を地蔵菩薩が守るという民間信仰につながって行き、子供や水子(この世に生を受けなかった胎児)の供養でも地蔵信仰を集めるようになったようです。
とりわけ現代の関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われ、地蔵信仰が今でも浸透しているようですね。
また道祖神と習合したため、日本全国の路傍(ろぼう:みちばたの意)で石像が数多く祀(まつ)られました。
【役行者= 小角(えん の おづの)について】
役 小角(えん の おづの)は、飛鳥時代から奈良時代の呪術者である。 修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きいとか。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承があります。
縁結び地蔵
雨乞い地蔵尊 |
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