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〜高野山:徳川家霊台(2014年5月4日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!高野山編
【高野山を紹介した過去のページ】
徳川家霊台とは、徳川家康と秀忠をまつる東照宮をいいます。
東照宮とは徳川家康をまつる神社のことで、中でも左甚五郎の彫り物がある日光東照宮が有名です。
1616年(元和2) 家康が駿府(すんぷ)で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年下野日光山に遷 葬,朝廷から東照大権現の神号を授けたことによります。
徳川霊台のある場所は本来、聖派(ひじりは)の代表寺院である大徳院の境内だったのですが、大徳院自体は明治になって他の寺院と合併して現存しませんので、霊台だけが残りました。
大徳院は、代々徳川家との関係が深い寺院で、後に家康によって、それまで蓮華院と呼んでいたのを、「大徳院」と改められたともいわれています。
大徳院に東照宮を勧請(かんじょう)することを、早い時期から幕府に参画していた天海僧正に願い出ていたらしく、造営に着工したのは寛永10年(1633)頃で、同16年には、正式に将軍家光より認可され、同20年に竣工し、4月17日には落慶法要が行われました。
ちなみに 聖派は聖方とも言い、初め高野山の念仏修行者を言いましたが、平安中期以降、諸国に勧進を行い、高野山に対する信仰を広めました。高野聖と言えば、耳にした人も多いかもしれませんね。
更に説明を加えると、勧進とは直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める者や寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求める者がいて、それらの行為のこと勧進といいました。ですが中世以後には後者の行為を指すことが一般的となったそうです。
ちょっと脱線しますが、源義経と武蔵坊弁慶らが修験道の姿で源頼朝の追っ手から逃れるために逃亡する道中の途中、関所で取り調べにあい、苦し紛れに白紙の巻物を取り出し、勧進帳と称して読み上げる場面がありますが、この勧進帳の勧進は前者の、つまり直接民衆に説いて念仏・誦経などの行為を勧める意味のものですが、この勧進帳を読み上げたり閲覧させた者(勧進聖)は、読み上げた後に寄付・作善を通じた結縁を呼びかけました。なので勧進帳とは対となる寄付の実績などを記した奉加帳というものもあったそうですよ。
徳川霊台には、二つの霊屋(たまや)が建立(こんりゅう)されていますが、いずれも同じ様式で造られ、国指定重要文化財です。
以下に画像を紹介しているように、その一つは、徳川家康の霊屋で、もう一つは、家康の子:第2代将軍の徳川秀忠の霊屋です。
200円を払って拝観すると、小さなパンフレットが頂けるのですが、そこに書かれた説明文が、分からない単語だらけです。
次回はその説明文の意味するところを調べてご紹介し、『家康霊屋と秀忠霊屋の違い』と題して各霊屋の画像を多角的にご紹介します。
徳川家康霊屋
画面左奧に見えるのが徳川秀忠霊屋です。
徳川家康霊屋
徳川秀忠霊屋
徳川秀忠霊屋
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これはこれは、凄い歴史的建造物ですね(@O@)
修復なんてとても不可能ではないかと思う程精密な造りで、保存も大変でしょうね!
2014/5/25(日) 午後 0:17
ピンキーさん
日光東照宮と同様に、徳川家康を祀る神社はきらびやかですよね。
彩色が施された頃はさぞかし綺麗だっただろうと思います。
2014/5/26(月) 午前 5:58 [ 上から目線 ]