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〜高野山:荘厳なる普賢院(2014年5月4日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!高野山編
【高野山を紹介した過去のページ】
真言宗 別格本山 普賢院は、とにかく他の宿坊に比べて抜きんでて立派に思えます。
荘厳にして豪華絢爛と、私の目には映りました。
そこでこのページを、『荘厳なる普賢院』と題しました。
『荘厳』は一般的には「そうごん」ですが、仏教では「しょうごん」と読むそうで、荘厳(そうごん)は元々仏語の荘厳(しょうごん)から派生した言葉だそうです。
その意味は、、「みごとに配置されていること」「美しく飾ること」の意。漢字の「荘」「厳」はいずれも「おごそかにきちんと整える」 という意味で、同じ意味の漢字を重ねた荘厳の意味は「立派で厳かな」という意味になり、仏語としては、「仏像や仏堂を美しくおごそかに飾ること。」という意味になるそうです。
紹介している画像にピッタリの意味合いに思えませんか?
これで本題に入れます。
本院のホームページ高野山真言宗|別格本山 普賢院|仏舎利 請来には、
「高野山のほぼ中央にある普賢院。その始まりは大冶年間(12世紀)に覚王親王が高野山に登山された折、念寺仏の普賢菩薩を力乗上人に与えられたことから、院が開かれたとされています。
院の名前がさし示すように、本尊は分限菩薩。弘法大師の十大弟子の一人、華厳寺道雄の作で、弘法大師が点眼(瞳を描き入れること)されたといわれています。」と紹介されています。
では菩薩とはなんでしょう?
お釈迦様の時代から数百年の後に盛んになった大乗仏教は、「お釈迦様の教えの真意」を明らかにしようとした仏教の新しい運動でもありました。大乗仏教徒にとって最大の関心事の一つは、如来がかつて出現し、多くの人々に掛け替えのない生きる勇気を与えられたという事実でした。と同時に彼等自身も、お釈迦様の原点に帰って、仏陀となり如来として生きる道を理想としたのでした。その根本精神は、自己の悟りだけでなく、他の生きとし生けるものの幸せを願うところに特徴があります。そのような大乗仏教の修行者たちは「菩薩(ぼさつ)」と呼ばれました。
またその一方で菩薩の理想的な姿を追い求め、すでに前の時代から未来仏として信仰を集めていた弥勒(みろく)菩薩に加え、文殊菩薩や観音菩薩や普賢菩薩といった偉大な菩薩たちを生み出していきました。
普賢院には、本堂に普賢菩薩が、摩尼堂に金剛薩た が祀られているのですが、
その摩尼堂に金剛薩たが荘厳で絢爛豪華なんです。
でも金剛薩たって何か知ってますか?
普賢菩薩は、仏陀の悟りの内容をそのまま描いた『華厳経(けごんきょう)』が編纂される過程で生み出された菩薩であるといわれています大乗経典の中でも最も傑出した壮大な世界観を有する菩薩だそうです。
「普賢」というのは、あまねく行き渡って優れているという意味で、本来は仏の徳を讃えた言葉であったと推定され、普賢菩薩は仏陀の悟りの世界である清浄にして華麗なる「華厳経の世界」を解き明かす重要な役割を担って登場。
わが国では、普賢菩薩の像は白象に乗ることで有名です。このスタイルは『法華経(ほっけきょう)』に由来し、そこでは普賢菩薩が六牙(ろくげ)の白象(びゃくぞう)に乗って現われ、法華行者を守護すると説かれているとのことです。
そこで問題の金剛薩たですが、密教では修行者のことを真言行者(しんごんぎょうじゃ)といいますが、真言行者の最も理想的な姿を「金剛薩た(こんごうさった)」と呼んでいます。この金剛薩たの前身の一つが、実は『華厳経』に現われた普賢菩薩なのだそうです。このことから、金剛薩たと普賢菩薩は同体と見なされ、密教では普賢金剛薩たとも呼ばれています。ただし金剛薩たは金剛手菩薩とも呼ばれるように、普賢菩薩とは像容が異なります。金剛薩たは澄み切った秋の夜空に輝く月のように清らかな満月輪の中で禅定(瞑想すること)に入り、右手に五鈷杵をもち、左手に五鈷鈴をもつように描かれます。「月輪」とは私たちのこころのなかにある清らかな菩提心すなわち悟りの心を表しています。このように、金剛薩たは普賢菩薩を前身として生まれ、菩提心の存在として、常に私たちの心の中にあって、私たちを見守り、導いてくださるのだそうです。
ちなみに以上は全て高野山真言宗|別格本山 普賢院|仏舎利 請来からの情報です。
多少のアレンジは加えてはいますが・・・・。
アンチョコで恐縮です。
以上の記述では、由緒や仏様の説明に終始して、その建物の説明には触れていませんが、
それには理由があります。
次回は『普賢院は東照宮の系譜』と題して普賢院をご紹介します。
普賢院の(鐘楼門) 表側
普賢院の(鐘楼門) 境内側 鐘楼門の彫刻 鐘楼門 天井の彫刻
普賢院 本堂
摩尼堂の金剛薩た
これです。この派手さ、これこそ荘厳(しょうごん)です。
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