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〜高野山:壇上伽藍 東塔とご本尊(2014年5月4日)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!高野山編
【高野山を紹介した過去のページ】
愛染明王と密教経典→金剛峯?
壇上伽藍東塔は、平安時代後期の大治2年(1127年)、白河法皇の発願で創建され、当初は上皇等身の尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)が本尊として奉安され、不動明王、降三世(ごうさんぜ)明王の二体も脇侍(きょうじ)としてまつられました。
尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょう)とは、如来の肉髻(にっけい:頭頂部の椀状の盛り上がり)が神格化した仏の一種だそうです。
仏頂尊については、〜高野山:金輪塔(2014年5月4日)〜で大仏様の頭についている螺髪(らほつ)といわれる渦を巻いた毛が神格化した金輪仏頂尊をご紹介しましたが、今回は肉髻(にっけい)が神格化した仏様です。
ちなみに「螺」とはうずを巻いた貝のこと。巻き貝のような髪型のことです。
真理の体得者である如来様にはさまざまな身体的特徴があるが、中でも頭頂部には特に神秘的な力が宿るとされ、その一つが肉髻(にっけい)であり、これが仏様になったのが仏頂尊です。
尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)は、その霊験を以て、あらゆる罪業、障害などを粉砕する様を表現したもので、 ここから除障仏頂、捨除仏頂、摧破仏頂、摧砕仏頂などとも呼ばれるそうです。
一方尊勝仏頂曼荼羅では、菩薩形で両手を定印の印相にし、その上に独杵鉤の乗った蓮華を持ちます。
尊勝仏頂に捧げられた陀羅尼として「仏頂尊勝陀羅尼」が知られる。これは、唱える事によって滅罪、生善、息災延命などの利益が得られるとして日本でも古くから知られ、多くの霊験談が残されています。特に百鬼夜行に巻き込まれた場合、この陀羅尼を唱えたり書き記した護符を身につけることによって難を逃れるそうです。
ですが肉髻(にっけい)とは何かがわかりませんよね。
如来などの高位の仏様の 頭には 渦巻きの螺髪 (らほつ) があり、前面の中心には肉髻珠 (にくけいしゅ、にくけいじゅ) と呼ばれる円盤状のものが載っています。額には白豪があります。白豪は長く右巻きに巻いて額についていて、時に長く伸びて光を放ち、過去・未来・遠方のものを映し出すといわれます。
そこで肉髻(にっけい)について以下にご紹介し、それに付随して紛らわしい部位の肉髻珠(にっけいしゅ)と螺髪(らほつ)と白毫(びゃくごう)についてもご紹介します。 肉髻(にっけい)
肉髻相(にっけい)は頂髻(ちょうけい)とも言います。如来の頭頂部には地髪部(頭部本体)の上に鏡餅のように椀状の一段隆起している部分があります。
これは如来は智慧が多く脳みそが多く詰まっていることを象徴していて、大きな徳をもっていることも表しております。
そしてこの肉髻相は菩薩では見ることが出来ません。
仏教が伝来した頃の古い時代の仏像にはないのですが、伝来後しばらくすると、肉髻部と地髪部の境の正面に肉髻珠(にっけいしゅ)という赤い玉が挿入されることもあります。 「白亳(びゃくごう)相」(緑矢印)とは眉と眉の間で額の中央の眉間に一丈五尺(4.5メートル)もある右めぐりする柔らかい白毛が生えており、それが巻尺のように巻きついて白い玉の如く額にぴったり張り付いていることです。亳光、眉間光とも言います。
全世界のすみずみの何処まででも慈悲の光が届き、悩む人、苦しむ人を見通すことが出来ます。 インドの初期の仏像では「白亳」はありませんでしたが、何故か我が国でも飛鳥時代には白亳がない仏像があります。しかし、白亳のない弘仁・貞観像は特殊な事情によるものです。 【肉髻珠(にっけいしゅ)】
肉髻部分と頭の境目にある珠は、肉髻珠にっけいじゅorにっけいしゅです。智恵が体から発する光として表現されています。
肉髻の下の部分を地髪(じはつ)といいます。肉髻と地髪の境目に、赤. い大きな珠があり、これを肉髻珠といいます。これは頭皮で、螺髪の間. から皮膚が見えているところといわれています。
肉髻珠は仏の智恵の光を表わす珠(たま)とされています。この肉髻朱からは、無数の化仏が現れ出されるともいわれています。また肉髻珠は実は肉髻そのものを象徴するもので、一説には、肉髻は朱色を帯びた地肌が頭部のまん中に盛り上がっていた、とされていて、それを象徴して朱色の珠に置き換えて表現しているものとされています。
大仏の髪型は螺髪(らほつ、又はらはつ)と言い、螺とは巻貝のことで右巻きになっているそうです。
仏様の髪の毛は、パンチパーマのような髪形です。これを螺髪(らほつ)といいます。巻貝のように、髪の毛一本一本がカールしています。この髪形は、昔のインドの階級の高い人達の髪型に由来している、と言われています。 【白毫(びゃくごう)】
白毫(びゃくごう)は、仏(如来)の眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛。右巻きに丸まっており、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)あるとされる。眉間白毫とも。三十二相の31番目であり、白毫相、眉間白毫相とも。仏教美術での表現から、膨らみや模様と誤解されることがあるが、誤りである。
光を放ち世界を照らすとされる。『法華経』序品には、仏(ガウタマ・シッダールタ)が無量義処三昧の瞑想に入ったとき、白毫が光を放ち東方一万八千世界を照らし出すというシーンが描かれている(爾時仏 放眉間白毫相光 照東方万八千世界)。
白毫の位置は、インド哲学における第6チャクラのアージニャーである。シヴァ神などいくつかのヒンドゥー教の神はその位置に第3の目を持つ。ヒンドゥー教徒が同じ位置にする装飾であるビンディーやティラカと、俗に混同されるが、直接の関係は薄い。
壇上伽藍東塔の近くには、空海の弟子であった智泉の廟があり、東塔の前には蛇腹路(じゃばらみち)と呼ばれる東にのびるまっすぐな小道がありますので、これらも説明しておきます。
【智泉廟(ちせんびょう)】
東塔の北東にある小さな廟廟がひっそりとたたずんでいます。空海の十大弟子の一人で甥でもある智泉(智泉大徳、789-825年)を祀っています。 智泉は14歳で空海の従者となり、16歳の時に空海とともに唐に留学するなど、優秀な弟子として活躍しました。最澄から空海へのとりなしを依頼されたこともあります。 幼い頃より非常に優秀で、お大師さまに随従し、後には入唐も果たされましたが、37歳の若さで入寂されてしまいます。お大師さまはこれを大いに悲しまれ、お墓を築かれたのでした。
しかし天長2年(825年)、空海に先立ち、37歳で亡くなりました。 【蛇腹路(じゃばらみち】
東塔から金剛峯寺のほうへ、東にのびるまっすぐな小道は「蛇腹路(じゃばらみち)」と呼ばれています。
空海は東西に細長い高野山を「東西に龍の臥せるがごとく」と形容しました。「龍」の頭は壇場伽藍、尾は現在の金剛峯寺の東の蓮花院の辺りとされています。 この小道は腹の部分にあたることから、「龍の腹の小道」が転じて「蛇腹路」と名づけられました。 壇上伽藍東塔
壇上伽藍東塔と三昧堂 ![]() 尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)
![]() 渦を巻く螺髪(らほつ)と白毫(びゃくごう)、対して滑らかな半球の肉髻珠
肉髻(にっけい) 肉髻珠(にっけいしゅ)と白毫(びゃくごう) 頭頂の隆起した部分が肉髻、赤い半球部分が肉髻珠、
左右の眉の間にある白い半球が白亳です。 |
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