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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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 〜九度山町ぶらり:真田4兄弟で最も勇猛だった真田昌輝と四男 信尹
   サブタイトル:オヤジブログは自由だ!九度山町ぶらり編          
 
●真田氏に関する過去のページ●    
信濃に散った昌輝と→幸村の首を確認した信尹
彼の死によって幸村の父が家督を→真田信綱 
武田家臣から大名になるまで真田家の変遷 
真田幸村のルーツはどこ?→実田が真田に? 
真田伝説はここから始まる→幽閉の真田庵 
幸村の兄信之とその子の墓がある→蓮華上院 
 
注:文中の●は真田●は徳川●は織田●は上杉●は北条●は豊臣、●は武田です。
 
今回は、前回ご紹介した嫡男の真田信綱に続き、次男の真田昌輝(さなだ まさてる)と、四男の真田信尹(さなだ のぶただ)をご紹介します。
 
真田 昌輝(さなだ まさてる)】
前回ご紹介した真田の嫡男 真田信綱は、武田家の騎馬200騎持の侍大将でしたが、
次男の真田 昌輝は、信綱と同様に武田二十四将にも数えられ、騎馬50騎持の侍大将で信玄から別家を立てる事を許されて独立し、信州先方衆の副将格でした。
小姓(こしょう)として武田信玄に近侍し、器量を見抜いた信玄により、有力武将の子弟が任じられる「百足衆」に抜擢されます。信玄に常に付き従い、「一之先衆七千」を務め、「兵部は我が両眼なり」とまで言わしめたという逸話が残っています。現在の本で、弟の昌幸が「我が両眼なり」と称せられたかのように記載された書籍があるが、それは誤認であり、「我が両眼なり」と称せられたのは、ここにご紹介する昌輝の方だそうです。
甲陽軍鑑』では、なお、所領は真田郷の周辺に与えられたと思われるが、在城地などは不明。兄・信綱とともに出陣する事が多かったが、単独でも出陣、戦功を挙げました。
1568年には信綱と共に今川 氏真(いまがわ うじざね:今川義元の子が治める駿河国攻めの先鋒を担い1569年三増峠の戦いでは信綱内藤昌豊と共に殿軍(でんぐん:本隊の後退行動の際に敵に本隊の背後を暴露せざるをえないという戦術的に劣勢な状況において、殿軍は敵の追撃阻止し、本隊の後退をえん護することが目的である。そのため本隊から支援や援軍を受けることもできず、限られた戦力で敵の追撃を食い止めなければならない最も危険な役目の軍を務めて戦功を挙げています。
1575年5月の長篠の戦いでは、馬場美濃守や、兄と共に、右翼部隊の一端を担います。
この合戦に備えて、織田徳川連合軍は多数の鉄砲を用意したことは有名です。
3千挺の鉄砲隊を三段(3人一組)に分けて一段目(1人目)が発砲、その間に二段目(2人目)が点火態勢を取り、三段目(3人目)が筒の掃除や弾込めを行い、代わる代わる射撃を行うという方法によって発砲準備に時間を要するという当時の鉄砲の弱点を克服、間断なく射撃することができたとする有名な通説もありますが、それは間違いとする説では、1千ないし1千5百挺とも言われる鉄砲隊が機能したのは馬防柵・空掘を併用することで武田軍は機動力を削がれ、そこを鉄砲で至近距離から狙い撃ちしたとしています。合戦における鉄砲の導入はこれが初めてではありませんが、これほどの数の鉄砲が機能したのは初めてとされ、私も教科書で習った覚えがあります。
ところで、この合戦に投入した武田の兵力1万5千のうち生還できたのはわずか3千というのが定説ですが、史書によってその数は異なるようです。
このとき真田昌輝5月21日の設楽原決戦において、織田佐久間信盛の陣に突撃すると、「丸山」と呼ばれる小高い丘を奪い合う局地戦で、首級(しゅきゅう:討ち取った首)を挙げるなど奮闘しますが、深手を負い信綱とともに討死します。享年33歳、設楽ヶ原には、今も二人の墓が残っています。
 
【真田 信尹(さなだ のぶただ)
真田信尹の子 信正徳川家に仕え、忠昌に従って越前に在し、その子孫は越前松平家に仕え、現在も越前真田として存続しています。
信玄代惣人数書上」には、主君の武田信玄の命により甲斐の旧族である加津野昌世の養子となり、加津野市右衛門尉信昌と称しました。武田家では騎馬15、足軽10を率いる槍奉行としての地位にあったそうです。
1571年の武田による駿河攻めにおいて武田信玄北条綱成の守る駿河深沢城を陥落(かんらく)させていますが、これは信伊の武功によるところが大きかったと伝えられ、この際に綱成の「黄八幡」の旗指物を奪い取ったとされています。昌幸と同じように武田竜朱印状(以下に画像と共に説明ありの奉者を勤め、二宮神主宛の居屋敷諸役免許状を出しており、武田の家臣団の一翼を構成していました]
1582年3月の武田滅亡後に真田姓に復姓し、諱(いみな:生前は口にすることをはばかった貴人の実名。)を「信尹」と改名する。
当初は北条氏に属していましたが、1584年から徳川家康に仕えました。そのため、真田幸村の父 昌幸北条家から徳川に乗り換える際には間を取り持っています。徳川では5000石を与えられ、後に1万石に加増されますが「それだけの働きをしていない」として浪人となります。これについては、小田原征伐武蔵江戸城の無血開城で功績を立てたにも関わらず、家康からの恩賞に不満を覚えて家康の下を離れたとされる説があるそうです。
その後、池田輝政を介して会津蒲生氏郷に5000石で仕えるが、1595年に氏郷が死去して蒲生騒動が起こったため蒲生家を離れ、1598年に再び徳川家康に甲斐で4000石を与えられて帰参した。
更に1600年関ヶ原の戦い1614年大坂の陣で御使番・軍使として功績を挙げ、それにより1200石を加増されて5200石になります。
ちょっと変わった人のようにも思えますが、ある意味気骨のある武将だったようですね。
信尹のこうした一連の行動は、後に真田幸村が豊臣方にいて活躍する事とかかわりのある出来事だったように思われます。
その後は幕臣として徳川に仕え、1632年5月4日に享年86歳で病死します。。 長生きですね。
息子の真田幸政以降、子孫は代々旗本として幕府に仕え、子孫は4つの系統に分かれ、その内の2家が明治維新まで存続しました。
武田滅亡後は真田本家とは別行動を取っていましたが、上記の徳川真田の橋渡し役以外でも絶えず昌幸の下に情報を送り続けたとされ、真田本家が生き残るための助力を分家として惜しまなかったと伝えられます。
大坂の陣では、家康信尹に命じて「信濃国10万石を知行する」と言って豊臣側についた真田信繁を誘ったが一蹴された、という逸話があるとか(信尹ではなく真田信之という説や、石高も信濃40万石という説も)。
また、兄の子信繁(真田幸村)の首の確認を行ったのも信尹であるとされます。それが事実なら、この時敵将として兄の子幸村の首を検証した信尹の心中は、どんな思いだったでしょうか?
                      
イメージ 3
                              真田昌輝
 
      武田家竜朱印状の朱印         北条家朱印状の朱印
          (山梨県立博物館蔵)              神奈川県立歴史博物館蔵
印章を使った古文書は、戦国時代から多くの大名が用いるようになっていました。
関東の戦国大名後北条氏の朱印状には、枠の上に虎が寝ている印なので、虎の印判状とも呼ばれています。
そして甲斐武田氏の朱印状では、龍の図柄が描かれた朱印が押されていますので竜朱印状とも呼ばれています。
現在の印鑑を使った朱肉による捺印は、この頃に始まるのですね。
印章が使われる以前は、花押(かおう)というサインの一種が用いられていました。
現在も国会議員の就任署名に併記したり私的文書に用いられ、議会の決定事項に対する同意の署名の次に書く花押(かおう)は最重要事項です。
 
イメージ 1
        真田家菩提所 高野山 蓮華定院山門(2014年5月4日撮影)
 
イメージ 2
    真田家菩提所 高野山 蓮華定院を外より望む(2014年5月4日撮影)
 
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閉じる コメント(3)

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高野山、長い事行ってないわ!
此処も行ってみたいな〜♪

2014/7/5(土) 午前 8:34 ピンキー

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>1568年には信綱と共に今川義元が治める駿河国攻めの先鋒を担い、

今川氏真の誤りでは?義元は1560年に桶狭間で死んでるはず。

2016/4/13(水) 午前 11:47 [ xixi ]

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> xixiさん
義元が氏真に家督を譲り隠居したのは、1558年なので1568年には氏真が当主ですね、ご指摘いただき、ありがとうございました。

2016/4/13(水) 午後 3:37 [ 上から目線 ]


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