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〜難波八阪神社:戦艦陸奥 主砲の一部を祀ているのはなぜ?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おもろいなぁ、大阪編
ちょっと日にちがあきましたが、再び難波八阪神社についてご紹介します。
かつては『難波下の宮』と呼ばれた産土神様だった難波八阪神社には、なぜか『戦艦陸奥記念碑』があります。
平和な現代に生きる私たちの中には、神聖なる神社に軍艦を祭ることは、戦争を美化し、ともすれば他国との紛争が起きれば再び新たな軍国主義が生まれるかのように唱える人もいますが、
過去に悲惨な時代があったことを忘れず、恒久的な平和を失わないために、こうした慰霊碑があってもよいと私は思います。
私たちの日本をとりまく隣国にあっては、戦時中に日本軍が行った非道を殊更に非難し続けています。
非道な行いを正当化するものではありませんが、かつての日本に限らず、そうした非道が日常的に行われることになる、戦争とはそういうものだといことを肝に銘じて平和を堅持することこそ大切なのだと私は思います。
そして、昨今の中国の隣国へのだまし討ちのような強引な他国の領土に対する占有は、平和な世をかき乱す極めて悪質な行為として、わが国を含む被害国が連携して対処してなければ、中国の行為はますますエスカレートすることでしょう。
【戦艦陸奥とは】
戦艦陸奥は建造時、世界最強の戦艦として41cm主砲を装備し、
活躍を期待されましたが、戦艦大和のように、外洋に出て米国戦闘機の魚雷などによる攻撃を受けることもなく、1943年(昭和18年)に瀬戸内海西部で謎の爆発で沈没しました。 その後平和な世の中となり、高度経済成長の真っ只中にあった1970年から1978年にかけて船体と伴に、多くの遺物・遺品、遺骨も引き上げられました。
その時に引き上げらた陸奥の遺品は、世界大戦の戦死者などを祭る靖国神社をはじめ、全国の神社に納められており、この難波八阪神社の境内にも、陸奥に殉じた乗組員の慰霊碑が祭られています。 難波八阪神社にある陸奥の慰霊碑に祭られている円形の遺品は、 『主砲抑気具』と呼ばれるもので、戦艦陸奥の誇りだった主砲の蓋のようです。 台座には黄金の菊の紋章の下に戦艦陸奥の主砲が描かれてます。
この抑気具(砲口蓋)は沈没し海底から引揚げられた戦艦陸奥の主砲八門の内の一個で、艦と運命を共に した艦長三好輝久大佐以下1121名の将兵の魂を慰霊し永遠の平和を祈るものである・・・・・(碑文)
戦艦陸奥主砲抑気具を安置する場所の全体像
戦艦陸奥主砲抑気具記念碑
抑気具記念碑の裏面にある説明書き
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