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前回まで真田幸村終焉の地:安居神社についてのお話をしていますが、ふと気になることに気づきました。それは、神社の方向です。
なのでこの疑問を忘れないうちに、神社の向きについて記したいと思います。
私の感覚では、神社の多くは西を向いているものだと思い込んでいました。
実際、住吉大社や安居神社は西向きで、大阪は西向きの神社が多いと私は思います。
そして私が神社の向きが西向きだと思い込んだ理由には、学生の頃に住吉大社の敷地内で夕暮れ時まで撮影をしていた時の、西日が差す光景の記憶が強かったからだと思います。
ところが、昨日・今日と安居神社についてブログを書く内に、過去のページの内容などを知る必要があってふと大阪国宝 住吉大社 本殿 - 国宝の地図を開いてみると、「本殿は、江戸時代1810年に建造され、第一本宮から第四本宮にいたる4棟があり、檜皮葺の住吉造りですべて西向きに配置されている住吉大社独特の配置です。」と書かれているではありませんか、「だったら普通、神社はどの方向を向いているの?」って思いますよね。
そこで、検索開始です。
「神社を建てる際、本殿の方角は基本的に南向きと決まっていて、次に多いのは東向きで、西向きは少数で、北向きになると殆どありません。
この理由は【天子南面す】という風水の思想が神社創建にあるから。天子というのは皇帝=天皇の事で、要するに高貴な存在。 風水では東西南北それぞれの方角に、青龍・白虎・朱雀・玄武という4柱の神が置かれ、中央の土地を守護すると考えれれています。 都はこの4神に護られた土地に建設されるのが理想で、その際には土地全体を活性化させる【気】というものが必要になります。 その【気】の流れを龍脈といい、山の尾根を伝って流れて来るとされます。 その【気】が地表に噴出する所が、北の方位にある【龍穴】という小高い丘です。 従って龍穴の直下、都の北部がもっとも高い【気】を得られる場所となります。 こうした事から、神社も南を向くものとされています。 太陽のエネルギーが最も強くなるのは太陽が南にある真夏の昼です。 古代祭祀に於いて重要なのは、太陽・月・星座から四季を読むこと。 冬至・春分・夏至・秋分は太陽のターニングポイント。 冬至は、太陽活動がもっとも弱まる時ですが、同時にこれから活発化していくスタート地点でもあり、キリストの誕生日であるクリスマスが、冬至と重なっているのもそういった意味合いが強く含まれているので、神社の構造も、こうした強く影響を受けているのです。 天照大神=太陽神という太陽崇拝の意識がはっきりして来ると、今度は神社と神社、あるいは山と神社、といった聖地どうしの位置関係が重要視されます。 その鍵になるのは、春分・秋分に太陽が昇り、没する【東西のライン】 そして夏至の日の出と冬至の日没・・・ ・・・さらに冬至の日の出と夏至の日没という、〝3つのライン〟です。 たとえば伊勢神宮を中心にこの3本の太陽のラインをそれぞれの方角に伸ばすと、数々の聖地=神社がそのライン上に乗ってくるのだとされています。(参照:「神社の系譜 なぜ そこにあるのか」宮元健次 著・光文社新書)」と紹介されています。 (一言:恐らく上記の記述が、神社の向きを説明するお手本的な答えなのでしょう。)
「神社仏閣は必ずしも全部が全部東向き&南向きではないようです。
基本的に神社仏閣の拝殿が東向きだと西方浄土に向かって拝むことになるので、西方浄土信仰がかなり強くなって以降(12世紀ぐらい〜)の神社仏閣は東向きが多いようです。また、南に向いているのは儒教の”天子南面す”という考え方に基づいて作られていると思います。しかし、そうでない神社仏閣もあって、・・・・盛岡天満宮や北野天満宮が西向きなのは、菅原道真を祀っていることと関係あるのではないでしょうか。流された大宰府の方向を向いているということだと思います。・・・・」 とのご意見が紹介されていて、面白い着眼です。ただし、北野天満宮については南向きなので更に検索してみると、
天満宮は東向き? 大宰府に流された菅原道真を祀る全国各所 ...では、「天神様だから「京都を向いている」とか「ある一定方角を向いている」という事はありません。
一般的には、神社や天皇陵は南向きや東向きの神社が多いのは事実です。※一番偉い人は北側に座り、南を向いているから 例外として一番有名なのが、後醍醐天皇陵が北向き(京都を向いている)です。 奈良・吉野で崩御され、京都に帰還する事を望んでいたからです。 少し余談ですが、天神様が最たる怨霊とされている証拠として、本殿までの参道が直線ではない事が表しています。 怨霊は直進しか出来ない為、参道が直線か否かである程度判断出来ます。 また、その都市が怨霊を信仰(?)していたか否かも辻(道の交差点)で判断出来ます。 やはり、怨霊を直進させない為に、辻の真ん中に杭や標識を立てて直進出来ない様に塞いでおります。」 (一言:あれあれ、怨霊信仰にまでお話が・・・・。)
最後に神社としては稀な北向きの例をご紹介しておきます。
本殿が北を向いている理由 - 大國魂神社ではその理由を以下のように紹介しています。当社は、永承6年(1051年)に南向きであった社殿を源頼義が北向きに改めました。
これは、朝廷の権力が届きにくい東北地方を神威によって治めるという意味がありました。 通常、神社は南か東を向いています。古くから「天子南面す」と言われるように玉座は南、太陽の方角を向いていました。
神様も同じように南を向くのが多いようです。この他、御祭神に関係する方角を向いていたり、太陽の出る方角等各社の由緒によって向きを決めた神社もあります。
ちなみに、北向きの神社 - Google マップには、北向きの神社が地図上に示されていて興味深いです。これを見ると和歌山の紀ノ川上流部には北向きの神社が集中していますね。
(一言:和歌山は例外:北向き神社のかたまりなんですね!いずれその理由についても触れたいです。)
出雲大社には更に面白い記述がありましたので、その記述をお借りしてご紹介します。雲大社の御神体は誰も見る事を許されておらず、解いてはならない謎。
文献には、御神体についての様々な推測、噂の類が記されているが、御神体には御衾(みふすま)をかけ申し、それは幅余尺、長さ丈余に及ぶ錦であるといわれている。 御神体を御衾によって外界と遮断する事は、神霊の尊貴なるを畏れ恐む事を意味している。 http://www.clarte-net.co.jp/NewPhotos/2009/0906shimane_shiinomi/090606izumo/izumo-heimenzu.jpg 一般の神社においては、多くは御神座の向きは社殿の向きと一致している。しかし、 出雲大社では社殿は南向きであるのに対して、御神座は西向きである。
社殿の向きと御神座の向きが一致せず、御神座が西を向いている理由については諸説ある。 御鎮座地から「西」という方角を検証すると、出雲大社と深く結びつく要因が浮かび上がってくる事も、 見逃す事はできない。すなわち大国主命と海との関係である。 そもそも出雲大社は「国譲り」に際し、高天原の神々(天照大御神又は高御産巣立日神)の詔によって創建された宮である。 そしてこの時より出雲大社に鎮まられる大国主命には、「幽冥主宰(あの世、目に見えない世界を主宰)」 の神様としての御神格が加えられる。 古代では、西の彼方には「常世(とこよ)の国(霊魂が鎮まるところ)」があると信じられていた。 そして出雲大社のすぐ西には「国譲り」神話の舞台として有名な「稲佐の浜」があり、又古代の出雲大社の社殿は 直接海に接していたのではないかと考えられている。更に大国主命は海の彼方から来た霊威としての性格をも持ち、 出雲大社には海とのつながりを色濃く持つ神事がある。 このあたりに御神座の向きの、更には出雲大社創建の謎が隠されているのか 「出雲大社」に祭られている「大国主命の祭壇は、参拝者から見て、左方向(西?)を向いて設けられていますが、何故なのでしょう?」。
資料的には「最初からそのように造られた」様に感じられますが、「国津神のリーダー的な神」の「大国主神」の扱いとしては「謎」です。「参拝者は大国主神の左頬を見て、礼を行う」形になるのは不思議ですよね。 「敗者(?)の扱い」だとしても、「神殿」自体は「荘厳」ともいえるモノを造っているのに、です。 「訳」を知っている、または考えたことがある人の答えを待ってます。 という質問に対して、
神は必ずしも正面(参拝者)の方を向いている必要はありません。神を横方向から拝むのを奇異に感じるのは、神は参拝者と向き合わねばならないという意識があるからでしょう。しかし、こういう考え方が生まれたのは、仏教が伝来してからのものと考えられます。
古い時代の神社に、神殿というものは存在しませんでした。当時の神社は祭りなど特別なときだけ神が出現する場所で、普段、そこに神はいないわけですから、神がどちらを向いているかを考える余地もありません。ところが、仏教が伝来し、仏堂に仏を祀る習慣が広まると、その影響を受けて、古くは一時的な祀り場だった場所に神殿が築かれるようになり、そこに神が住んでいるという観念も生まれました。 寺院では仏像が正面を向き、参拝者と向かい合うように配置されています。神が正面(参拝者)の方を向いていなければならないという考えも、このような寺院建築における仏像の配置を日本の神々にあてはめたものでしょう。見方を変えれば、神は正面から拝むものという考え方は、仏教の影響によって生まれた思考であって、日本古来のものではないと考えられます。 なぜなら、古代の日本では、神とは、気まぐれかつ荒々しいもので、豊かな恵を垂れるか、大きな災いをもたらしたかは、そのときの神の気分次第であり、人智ではどうにもならないという実に厄介な存在でした。いまでも「さわらぬ神に祟りなし」というように、大昔の神は丁重にお祀りしたつもりでも、それが神の意に沿わないときには、逆に神罰を覚悟しなければならないものでした。 という回答が記されていました。
更に補足として、
「故郷の方を向く」事を理由とするならば「本殿自体の正面を西」とすれば事足りると思いますが?
「大社」以外でこの構造を持つ神社を当方は知りませんが、それを「奇異」と感じることは変なのですか? 「大国主神」の本質は「龍蛇神」と言われますが「海蛇」は「神使」であって「記紀」にはその事を示す記述はありませんが。 「祟りの抑え」の為というと何故に「西」なのでしょう? という質問に対して
神が参拝者から見て横向きに祀られているのは、大社造といわれる神殿建築に共通することで、出雲には、他にも熊野大社、神魂神社などの例があります。古代日本では、どこでもそうだったとまでは申しませんが、少なくとも出雲においては、神に正面から近づかないという思考は存在したと思います。
他の地域に同様の例を見ない理由としては、大社造は、神殿建築の中では最も古い型式に属しており、他地域の神社建築が完全に寺院建築の影響下に置かれた時代になってから成立したのに対し、比較的影響の少ない時期に成立した様式なのではないかと考えています。 という再回答が紹介されています。
難波八阪神社 南向きでした。
後日ご紹介します。
阿倍野清明神社 西向きでした。
後日ご紹介します。
高野山近辺の葛城町には北向きの神社が多いです。
次回は、〜住吉大社の古代から現代における配置の変化とその意味〜をご紹介します。
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さすがですね。
2016/1/11(月) 午前 9:12 [ どら猫 ]