|
〜明日香村:板蓋宮跡にある万葉歌碑〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
●明日香村のページ●
−飛鳥坐神社のページ−
それはそれとして、この宮跡には万葉集の一句を刻んだ歌碑があります。
せっかくの機会ですから、その歌碑もご紹介しておきます。
この画像ではわからないかもしれませんが、彫られた句の漢字には、ルビ(読み仮名)がそえられていて、私のような無学な者でも、歌碑の句を読むことはできます。
ところが、悲しいかなその意味や詠み人についてはわかりません。
ですがここにご紹介するからにはちゃんと調べましたよ。
この句碑をそのままご紹介すると、
婇女の 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用迩布久
ですが、該当する和歌は、 采女( うねめ)の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
詠み人:志貴皇子( しきのみこ)
その意味は、
采女の袖を吹き返す明日香風――都が遠のいた今は、むなしく吹くばかり。
だそうです。
【歌の背景】
持統八年(694)十二月の藤原京遷都後の作。采女は諸国から献上され、天皇に近侍した女性。かつて都であった飛鳥の地で、その美しい袖を風が翻した光景を回想し、幻視している。続古今集に収録。初句は「たをやめの」。 (志貴皇子 千人万首より)
発句(歌の書き出し)は歌碑では「婇女の」に「うねめの」のカナを打っていますが、「うねめの」を文字変換すると「采女の」となります。
私には和歌のことはよくわかりませんが、発句を「采女(うねめ)の」とするとカナ発音で4文字で字足らずですが、「婇女(たおやめ)の」とカナ発音すると、ちょうど5文字になるからでしょうかね。
意味を調べてみると「婇女(たおやめ)」「采女(うねめ)」は宮中に仕える女官=帝の給仕だそうです。ちなみに、調べた中には神宮采女なる存在もありました。
【志貴皇子( しきのみこ)】
天智天皇の第七皇子。壬申の乱により、皇統が天武天皇の系統に移ったために、天智天皇系皇族であった彼は皇位継承とは全く無縁だった。政治よりも和歌等文化の道に生きた人生だったが、薨去から50年以上後の770年に、聖武天皇の娘井上内親王を后とし、母系では天武系となる他戸王を儲けていた六男の白壁王が、皇嗣に擁立され即位した(光仁天皇)ため、春日宮御宇天皇の追尊を受けた。かくして皇位に一切執着せず清らかな人生を終えた彼の系統が現在まで長く続く事となった。御陵所の「田原西陵」(奈良市矢田原町)にちなんで田原天皇とも称される。
清澄で自然鑑賞に優れた歌い手として『万葉集』に6首の歌を残している。代表的な歌として、「石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも」(岩の上を流れる滝の上に蕨が芽を出し、春を感じることよ)が有名。
【ちょっと豆知識】
ウィキペディアによると、
「板蓋宮」の名称は、文字どおり屋根に板(豪華な厚い板)を葺いていたことに由来するといわれている。このことにより、当時の屋根のほとんどは檜皮葺・草葺き・茅葺き・藁葺きであり、板葺きの屋根の珍しかったことが判る。実際にも檜皮葺や茅葺きの建物物は現代に至るも遺っているものが多いが、板葺きの建築物が遺っている例は少ない。
ですって。
|
全体表示
[ リスト ]





