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〜明日香村:猿石はなぜ檜隈墓に?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
−明日香村の石造物−
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〜明日香村:檜隈墓(ひのくまのはか)は古墳ではない?〜でご紹介したように、
吉備姫王檜隈墓こと
檜隈墓に目的意識を持って訪れる方の多くは、古墳そのものを見るために訪れるのではなく、そこにある猿石と呼ばれる石造物が目当てです。これは江戸時代に梅山古墳のすぐ南の田(小字池田)で掘り出されて古墳のかたわらに置かれていたもので、明治初期に現在の場所に移された。
(一言:思うに、田んぼより掘り出された猿石は、当初は梅山古墳のかたわらに置かれていたものの、明治時代に、欽明天皇陵としての指定を受け、現在見られる石庭風の白砂と玉砂利の空間に、生垣・石柱の柵・石灯籠・石鳥居などを配置した天皇陵の様式に整備するにあたって、猿石をどこかに移動させる必要があったのですが、めったな場所に放置するわけにもゆかず、考えあぐねた結果、現在の檜隈墓に置かれたのでしょう。)
百聞は一見にしかずなので、〜魚眼で見る 履中天皇陵(2013年5月3日)〜のおりに撮影した画像を天皇陵の様式例としてご紹介して置きます。
履中天皇陵:(高さ約 9メートルの目線から)
カメラ:αNEX-5 レンズ:E16mm F2.8 SEL16F28+VCL-ECF1
猿石はどれもユニークな人面石像ですが、猿ではなく渡来人を象ったものであるといわれています。
4体の像にはその外見から左から順に『女』『山王権現』『僧(法師)』『男』とそれぞれに愛称がつけられている。僧以外は像の背面にも顔が彫られている二面石で、僧の背面には肋骨(ろっこつ)らしきものが彫られているとか。
檜隈墓にある猿石(女と山王権現)
檜隈墓にある猿石(僧:法師と男)
檜隈墓の鉄柵越しに猿石は、以上のように見えますが、4つある各猿石の特徴を知って頂くために、明日香資料館の庭に設置されているレプリカの画像をご紹介します。 『
レプリカ(表面)山王権現
』の
男性器らしきものが見えます。
『
山王権現
』のレプリカ(側面)
背中合わせです。
『
レプリカ(裏面)山王権現
』の
背中合わせにある裏面の様子は、人ならざる物です。
人の裏側には人ならざる物が住み着いているということを表現しているのでしょうか?
一見すると獅子か狛犬のようにも見えますが・・・。
山王権現とは、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合して成立した、延暦寺の鎮守神である。また、日吉大社の祭神を指すこともある。
山王権現は、比叡山の神として、「ひよっさん(日吉さん)」とも呼ばれ、日吉大社を総本宮とする、全国の比叡社(日吉社)に祀られた[1]。また、「日吉山王」とは、日吉大社と延暦寺とが混然としながら、比叡山を「神の山」として祀った信仰の中から生まれた呼び名とされる[1]。
日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)が入唐して天台教学を学んだ天台山国清寺では、周の霊王の王子晋が神格化された道教の地主山王元弼真君が鎮守神として祀られていた。唐から帰国した最澄は、天台山国清寺に倣って比叡山延暦寺の地主神として山王権現を祀った。
(一言:ということは、山王権現を含むこれらの石造物の愛称は、最澄が天台宗を開いた平安時代以後に付けられたのでしょうか。)
『
女
』のレプリカ(表面)
とても女性には見えませんが、胸部には乳房らしきものがあります。だから『女』なのでしょうか?
『
女
』のレプリカ(裏面)
下部の彫り物は、魚か鳥の頭部のようにも見えますが・・・・。
『女』という愛称から考えると、着物を着た後姿でしょうか。
『 僧(法師)
』のレプリカ(裏面)
合掌し、瞑想するかのような様子が、
『 僧(法師)
』という愛称をつけられた理由でしょうか?
『 僧(法師)
』のレプリカ(裏面)
合掌し、瞑想するかのような様子が、
『 僧(法師)
』という愛称をつけられた理由でしょうか?
先に猿石 - Wikipediaには「 『 男
』のレプリカ(表面)
愛称にふさわしく?男性器らしきものが見えます。
『 男
』のレプリカ(裏面)
私には、うずくまって前を向く人が、右耳の後ろに掌を前に向けて右手をあてて耳を澄まし、
左手は口元をふさぐように添えているように見えます。
上部の凸部は、頭にかぶった帽子(烏帽子?)と見ることもできますね。 |
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