|
〜明日香村:三輪山が三諸山と呼ばれ、美しく大切にしたと詠う万葉歌〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
今回ご紹介する万葉歌は、ほのぼのとした良い歌です。
ですがその反面、大意は以下に紹介していますが、三輪山を愛でる歌のようで、大和朝廷にかかわる山とされていていることから、大和政権をほめたたえる意味も暗に含まれているとも思えます。
(原文)
三諸者 人之守山 本邊者 馬酔木花開
末邊方 椿花開 浦妙 山曽 泣兒守山
作者不詳 三諸は 人の守る山 本辺は あしび花咲き
みもろは ひとのもるやま もとべは あしびはなさき
未辺は 椿花咲く うらぐはし山ぞ 泣く児守る山
うらべは つばきはなさく うらぐはしやまぞ なくこもるやま
〔大意〕
(一言:三諸山の美しさと人々がこれを大切にしていることを詠うことで、大和朝廷への敬意の念を詠っているのでしょう。)
この歌の説明札には、「會津八一(秋艸道人)の墨蹟を集字(しゅうじ:ある人の書跡や古版本などから必要な文字をもとの形のまま集めて,標題や語句などをその文字で構成すること。)したものです。神の山の春の装いを賛美しています。」と記されていますね。
(一言:つまりこの和歌は、會津八一の書の中から抜粋した文字を集めて表記されているんですね。)
ちなみに三諸山=三輪山は、奈良県桜井市にあり、現在では三輪神社や三輪そうめんで有名ですが、
縄文時代または弥生時代から、原始信仰(自然物崇拝)の対象であったとされています。古墳時代に入ると、山麓地帯には次々と大きな古墳が作られたため、この一帯を中心にして日本列島を代表する政治的勢力、すなわちヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したと考えられています。
【會津八一(あいづ やいち)とは】
新潟県生れの歌人・書家・美術史家で、中学時代から俳句・和歌を作り、早稲田大学を卒業すると、奈良の古寺を巡遊し仏教美術への造詣(ぞうけい)を深め、美術学者としての地歩を築くかたわら作歌を本格化、万葉調の平がな書きによる荘重(そうちょう:おごそかで重々しい)かつ芳醇(ほうじゅん:うるおいがあり、格調高い)な歌風で奈良古寺古仏を詠み、世の評価を得ました。
歌集として『南京新唱』『鹿鳴集』、歌論・歌話集に『渾斎随筆』等があり、また書にも独自の境地を開き、書跡集『遊神帖』等があるそうです。文学博士・早大名誉教授。新潟市名誉市民。昭和31年(1956)歿、75才。
ちなみに、秋艸(しゅうそう)道人の『道人』は、世俗を捨てた人。隠遁生活をする人という意味の他に、道教を修めた人。または仙術を修めた人を指したり、書家などが雅号の下につける語で、これを号といいます。
また、『墨蹟』」は、筆で書いた文字。筆跡。書跡。特に日本では,禅僧の筆跡をさしていう語だそうで、なぜ禅僧でもない會津八一の書にたいして、禅僧の筆跡をさしていう『墨蹟』という文字をこの説明板で用いているかについては、
八一の作品には、禅語を揮毫(きごう:広義には筆で書かれていればすべて揮毫といえるが、一般には著名人や書家などが依頼に応じて書いた格言や看板の文字について言うことが多い。)した作品が多くあるからなのでしょう。
![]() |
全体表示
[ リスト ]





