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〜明日香村 飛鳥坐神社の飛鳥山口神社:大山津見乃神と天皇家の関わり〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
−飛鳥坐神社内 飛鳥山口神社のページ−
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前回のページで飛鳥坐神社には小さな祠の飛鳥山口神社があり、その祈願対象が山口坐皇神(やまのくちにますすめがみ)=山口神は、皇室の舎殿の用材を切り出す山々の神で、水の神・農の神でもあることをご紹介しましたが、ご祭神についてはご紹介できませんでした。
当初は前回のページに追記するつもりでしたが、
調べてみるとけっこう話が長くなりそうなので、新たな今回のページでご紹介したいと思います。
(一言:飛鳥坐神社の記述としては、かなりの脱線かもしれませんが・・・・。)
なるべくわかりやすく文章を組み立てたつもりですが、腰を据えて読まないと理解できないかもしれません。
【大山津見乃神とは】
飛鳥山口神社のご祭神:大山津見乃神(おおやまつみのかみ)は男神で、沢山の別名があります。
大山祇神(おおやまつみのかみ)大山積神(おおやまつみのかみ)大山罪神(おおやまつみのかみ)
大山祇御祖命(おおやまつみのみおやのみこと)和多志大神(わたしのおおかみ)酒解神(さかとけのかみ)等々
大山津見乃神はこれらの別名の中の一つ:大山祇神として大山祇(大三島)神社のご祭神になっています。
私たちの良く知る記紀神話(古事記・日本書紀に書かれた神話)の神との関係性で言えば、大山津見乃神はイザナギ(古事記では伊邪那岐命・日本書記では伊弉諾神)とイザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊耶那美、伊弉弥)との間に生まれた子です。
(イザナギ - Wikipediaには、国産み・神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島・本州・四国・九州等の島々、石・木・海(オオワタツミ・大綿津見神)・水・風・山(オオヤマツミ・大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。)
対して皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている天照大神は、イザナミが火の神:ガクツチ(迦具土神)を生んだときに陰部に火傷を負って亡くなり、思いを捨て切れずに黄泉国まで会いに行ったが、イザナミの姿は腐敗した姿を見て逃げ帰ったイザナギは、黄泉国の汚れを落とすため左目を洗うと天照大神が生まれたと言われますから、大山津見乃神と天照大神は、出自の異なる兄弟ということになります。
(一言:つまり、皇室につながる神ではなく、出雲の国の祖先につながる神ということでしょうか?)
大山津見とは大山に住む即ち大山を司る神、山神。 また和多志大神の和多は綿津見(海神)のわたであり、海の意味だろう。 大山津見神を祀る本源の神社、大山祇(大三島)神社の杜伝では山・海兼備の神であるとしている。
(一言:ところで、ここで言う『大山』とは、どの山を指すのでしょう?鳥取県にある大山(だいせん)?それとも単なる大きな山?)
大山祇(大三島)神社(愛媛県今治市大三島町宮浦)
大山祇神社 - Wikipedia - ウィキペディアより(一言:鳥取県と島根県の県境にある大山はもちろん、富士山も大山信仰の一形態らしいです。)
大山信仰 - Neの『大山信仰とは』の項目の中には、以下のような記述があります。
「阿夫利神社のご祭神は、山の神・大山祇神である。 大山祇神は、「徐福」をさすという説があり、信憑性(しんぴょうせい)が高いとされています。
大山祗神は、またの名を酒解神(サカワケノカミ)と言い、酒造の祖神としてもあがめられています。
また、生活の資源、海運・漁獲・農産・商工業に霊験を示されるということは、 徐福の特徴をよく反映しているとされる。
碓井静照氏の著書「徐福の謎」によると、徐福一族は、各地に定着するにあたり、 あらかじめ目標を定めた山(その地域で一番高い山)に立ち、海や河川を望み、 最も住みやすい地を選んで山を下りたと見られる。
これが後に、土地の人々において、神の降臨伝承となった可能性が高いという。」
秦氏は、大和朝廷時代の有力な渡来人の一族ですが、秦始皇帝を祖とする系と、徐福を祖とする系の二つがみられるも、前者には、秦氏本流の秦河勝(はたのかわかつ)を中祖としながら、始皇帝ではなく徐福を「竜祖」(始祖)と主張する長曾我部(長宗我部)氏がいます。
司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。
日本の伝承によると、青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されている。徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市、三重県熊野市波田須町、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、東京都八丈島、宮崎県延岡市などがあり、そのうちの一つ三重県熊野市波田須からは、2200年前の中国の硬貨である半両銭が発見されている。
「朝鮮半島から渡来した秦氏は、日本の宗教文化や衣食住に大きな影響を及ぼすさまざまな貢献を行い、海外からは秦王国と称されるまでの権力を握りました。そして京都の周辺に多くの拠点を構え、優れた知識と高度な技術だけでなく、大きな経済力を誇示していました。その卓越した政治経済力を生かして平安京の造営まで担い、皇室との血縁関係があることも知られています。日本文化の礎を造った秦氏の功績は疑いもない事実であり、天皇家との密接な関わりがあったにも関わらず、これまで日本の歴史教育において秦氏の存在が重要視されなかったのはなぜでしょうか。
秦氏の出自を辿ってゆくことは、従来の定説に反する結論にに発展しかねません。また、皇室の血統や出自についても言及することにもなりかねないため、これまで多くの歴史家は公に議論することを躊躇(ためら)い、学校教育においては踏み込んだ記述ができなかったと考えられます。
古事記や日本書紀に書かれていることを鵜呑みにするならば、日本という国家は天皇を現人神とする神国であり、およそ日本人は古代から連綿と続く単一民族であるという大前提があります。
そして歴史教育によって培われた古代日本人のイメージとして、独自の文化を持つ日本列島に土着していた縄文人に、大陸から渡ってきた弥生人が長い年月を経て交じり合い、今日の日本人の原型が育まれたとする考えが定着してきたのです。それ故、古代における日本文化の礎を担った人の殆どが渡来人であるというような論説は、封印されても仕方ないでしょう。しかし・・・・・」と自論を交えて紹介しています。
これまでにも言及しましたが、私には天皇家をおとしめる意図は全くありませんし、形骸化しつつある天皇家の存在を、むしろ懸念すらしています。
たとえ皇族の存続にも大きな財政が必要だとしても、少なくとも権力欲や公金横領に走る議員・官僚などに支配され、血税を吸い尽くされるよりは、遥かに有益な出費でしょう。
その上であえて記すのですが、
天皇・皇族・皇族に連なる豪族の出自について、一族の平民に対する優位性を、神話によって正当化しました。
こうしたことは、近隣の国々では例を見ないそうです。
そして私のような古代史に明るくない者からしても、あえてそうしなければならなかったことに、違和感を感じます。
その後に帰化した渡来人の一族に対してはあくまでも豪族とは明らかに身分的線引きをしました。
土着的差別の始まりと言っても良いでしょう。
結論として何を言いたいのか?と言えば、
私もまた秦氏の正体から垣間見える日本人のルーツとは - 日本とユダヤ ...の管理人と同様に、日本人のルーツが、土着の民=縄文人と渡来人=弥生人の平和的で自然な長期に渡る混血によって日本民族が単一化したのではなく、むしろ縄文時代から大陸より渡来していた渡来人によるネイティブな日本人の支配に始まり、更に遅れて日本に流入した渡来人をべっ視して明確な差別化を図ったと思えるのです。天照大神は天上界の出自ではなく、天孫(ニニギ)は大陸からの渡来人だったのだと。
ですが、その全てが現在の日本人・日本国へと至るプロセスであり、今は神話も天皇も容認すべきだとも。
飛鳥時代の豪族の分布図
(飛鳥資料館の展示パネル)
ところで、天孫の寿命には、大山津見乃神=大山祗神とその娘と天孫(ニニギ)にまつわる神話が紹介されています。
【神である天皇がなぜ死ぬのか?を説明する神話と疑問】
無事に天孫降臨を果たしたニニギ(邇邇芸命)は、下界で早くもきれいなお姉さんを見つけだした。 大山祗神の娘、木花咲耶姫命である。 その美しさに惚れ込んだ邇邇芸命は、父親の大山祗神に結婚を申し入れた。 父神は喜び、「木の花のごとく栄え、石のごとく変わらぬ命」という祝いの意味を込めて、木花咲耶姫命とその姉の石長姫神をセットで邇邇芸命へと送った。 しかしこの石長姫神はたいそうな醜女(シコメ=飾らなく言えば今で言うブス)だったそうで、邇邇芸命は姉の方は送り返してしまった。
大山祗神は、「せっかく2人そろって差し上げたのに、妹だけを妻にしては天孫の命も木の花のように儚いものとなるでしょう。」と嘆いたという。 さらに木花咲耶姫命が妊娠したときにも、ふられた姉の石長姫が「私を妻にしていれば子供は石のように長い命を保てたというのに、妹の子では花のように散ってしまうでしょう。」と恨みを込めて語ったとされている。
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