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〜明日香村 キトラ古墳:朝鮮半島の円墳がなぜ飛鳥では二段式?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
飛鳥資料館で見たパネルには、飛鳥地方の古墳について、以下のような文章が紹介されていました。
「飛鳥地方には、4・5世紀の古墳は知られていない。6世紀になって蘇我氏が有力になると、その勢力範囲であるこの地方に、初めて古墳がつくられるようになり、7世紀には、宮や京の地域の外に、天皇や皇族など有力者たちの古墳がつくられた。
飛鳥地方の古墳は、花崗岩の切り石を用いるなど、河内飛鳥の古墳とともに、全国的にみても他に例の少ない精巧な横穴式石室や特殊な構造の石室を持っている点で注目される。これらには、新羅・百済・高句麗の古墳の影響がいちじるしい。古墳に葬(ほうむ)られた有力者、古墳を造った技術者が、朝鮮半島からの渡来人と深く結びついていたことを物語る。」
そこで、高松塚古墳・キトラ古墳と、朝鮮半島の新羅にある古墳を見比べてみましょう。
残念ながら私は朝鮮半島の古墳をみたことがありませんので、他者のブログに紹介されている画像をお借りしました。
興味のある方は、そちらのブログもリンクバナーからご覧いただければと思います。
以前にもご紹介したように、飛鳥時代の古墳は、古墳時代の終末期のもので、高松塚古墳やキトラ古墳は、7世紀末〜8世紀始めの古墳です。
対してこれらと見比べる新羅の古墳は、5〜6世紀の古墳です。同時期の飛鳥の古墳としては、近年発掘された都塚古墳がありますが、ご紹介は後日となります。さて、高松塚古墳やキトラ古墳と朝鮮半島の新羅の天馬塚古墳との形状の違いは?というと、天馬塚古墳が段差のない円墳なのに対して、高松塚古墳やキトラ古墳は、二段式になっていることです。
ではなぜ朝鮮半島の影響を強く受けて造られた古墳が、日本で二段式になったのでしょう。
キトラ古墳推定復元模型の画像を見ていただくと、祭祀土坑という部位があることから、恐らく日本古来からの神道と結びついた結果でしょう。
神の儀式は、一般人の立つ場所より高い位置で行われなければならないのです。
つまり、古事記・日本書紀に登場する神々の末裔として、庶民からは崇め奉られる存在として葬られたということです。死してなお影響力を持つ存在として。
ところで、高松塚古墳とキトラ古墳との壁画の違いとして、高松塚古墳には飛鳥人の姿があるのに対して、キトラ古墳にはなく、かわりに十二支像が描かれている点があります。
十二支像は頭が十二支の動物で、体は人間です。
そして、朝鮮半島の金庚信将軍墓には、十二支像が彫られた石盤が周囲に並べられているそうです。
これは、高松塚古墳より先に造られたとされるキトラ古墳には、朝鮮半島の古墳の様式がより強く残っているためでしょう。
高松塚古墳
この画像のままではわかりにくいので、段差の位置に浅黄色の線を入れました。 天馬塚古墳
5〜6世紀の新羅(慶州)の古墳
29代武烈王と30代文武王(在位661〜681)に仕え唐と連合して
百済と高句麗を滅ぼし、三国統一に力を尽くした新羅の名将の墳墓 ![]() |
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