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〜明日香村 :キトラは精緻な美、高松塚は合理的美、違いを比較〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
キトラ古墳と高松塚古墳の違いのうち、これまでに壁画の違いについてはご紹介しました。
今回はそれ以外の違いをご紹介します。
二つの古墳は、どちらも終末期古墳(飛鳥・藤原時代の末から奈良時代の初頭にかけて造られた古墳)とされており、規模や古墳の形状が似ていますが、キトラ古墳が高松塚古墳よりやや古いようです。
両者には共通して四神と天文図がえがかれています。ただし、壁画の図像や細部表現には差異が認められます。
表現方法は高松塚古墳の方が成熟するとともに、一部に簡略化などもみられます。
中でも特に異なるのは、キトラ古墳には十二支像が描かれるのに対して、高松塚古墳では男女群像が描かれている点です。
以下の比較表を簡単に言うと
古墳規模は高松塚古墳の方が大きく、石室の有効規模は、キトラ古墳の方が大きく、
壁画は、高松塚古墳の方が大きく華やか、天文図はキトラ古墳ではあくまで精緻に描かれ、高松塚古墳ではデフォルメされた見栄えのする構図になっています。
ところで、今回のページで重点的にご紹介したいと思っている点は、石室の天井の形態や石材の組み方の違いです。
このページの下部に紹介している両古墳石室の構造図は、飛鳥資料館の展示パネルに描かれていた図をもとに、理解しやすいように説明を加えて作成しました。
上記したように、単純な規模で言うなら、高松塚古墳に軍配が上がるのですが、 全体的に荒っぽい造りになっていることにお気づきでしょうか?
「どこが?」と思われた方にこそこのページの意味があります。
まず石室の外壁を見比べてみると、
キトラ古墳の場合は主要な面に凹凸が生じないように丁寧な加工が施され、スッキリとした輪郭線が印象的です。
対して高松塚古墳の場合は、ある程度適当な大きさに切り出された岩を組み合わせたという印象の造りで、各面を構成する岩と岩との繋ぎ目には、かなりの凹凸が目立ちます。
特に、天井部の北端の岩などは、石室内部のサイズを確保するのに不必要な部分、つまり有効寸法を超えるサイズの岩が使われていて、庇(ひさし)のように飛び出ていますし、直角の出た綺麗な長方形ではない岩が複数使われています。
これは、自然石もしくは切り出された状態のままの岩を、石室の外郭になる面にはどのみち古墳の盛土によって隠れるのだからと、余計な加工を加えずに組んだとしか思えません。
キトラ古墳石室の美しい加工は、外壁だけではありません。
むしろ内壁にこそ特徴的に見られます。
石室の内壁を見比べてみると、
以下に紹介している石室の構造図には、青い線で石室内壁の輪郭を示しました。
キトラ古墳の石室内壁は、とても滑らかに組まれているばかりか、天井壁の岩は台形状にエグリ加工がほどこされています。
以上のようにほぼ同時期のものとされている古墳でありながら、両者には石工技術に大きな違いがあるように思われます。
このことを深読みすれば、高い技術力を持った渡来人が、大化の改新という政変を期に、時の権力者によって迫害・抹殺・追放・幽閉・離散・逃亡などの憂き目にあい、高松塚古墳を造る段階では最先端の技術を得とくした集団がいなくなったと考えることもできます。四方の各面を構成するデフォルメや極彩色の壁画を描く技術以外は。
多くの技術集団としての渡来人を束ね、自らも渡来人の末裔とも言われる蘇我氏が逆賊として断罪されると、その負の連鎖は渡来人に向けられたのでしょうか?
キトラ古墳と高松塚古墳の対批表1 キトラ古墳と高松塚古墳の対批表2
キトラ古墳石室の構造図 ![]() |
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