カメラとビデオを棒にくっつけて

堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

全体表示

[ リスト ]


〜明日香村:4つの終末期古墳の概観と規模の違いは・・・
     サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編  

−キトラ古墳のページ−                
またも失敗は生かされず キトラ古墳  壁面より剥ぎ取られ保存 四神壁画
四神壁画より興味深いぞ 星宿図の差 星宿図から推察してみる 被葬者は
朝鮮半島の円墳は神の国で 変化して                     

横口式石槨(よこぐちしきせっかく)の特著などから終末期の兄弟古墳と言われるキトラ古墳・高松塚古墳・マルコ山古墳・石のカラト古墳ですが、古墳そのものの概観は1つとして同じものがありません。
同じ家に育つ兄弟でもそれぞれに個性があるように、同時期の似たもの古墳だからといってその概観が類似している必要はないのかもしれませんが、
外観が多様だということに「なぜだろう?」という思いが捨てきれません。
さらに、同時期の古墳ならば、その規模の違いは生前の身分(=権力)の違いなのでしょうか?
「前期の古墳の大半は、丘陵上に造られた前方後円墳と前方後方墳であり、全長100〜300mの墳丘を葺石で覆い、埴輪を周囲に配している。
古墳の形には前述した2つの他にも方墳・円墳などがあるが、巨大な古墳は全て前方後円墳であり、これは最も有力な首長の墓とされている。
一言:大陸と異なり、神を敬う神道信仰が土着していた日本では、神の如く君臨した権力者の墳墓は大陸のような単なる死者を葬る塚としての円墳だけではなく、使者となってこそ人から神へと化身した生前の権力者を崇め、祭祀を行う場所として付随する墳丘がひつようだったのでしょう。)
前方後円墳の後円部の墳頂には埋葬施設があり、竪穴式石室に木棺を納め、勾玉や管玉、銅鏡、鉄製の武器や農耕具などが副葬されている。
副葬品のなかに宗教的な道具が含まれていたことから、この時期の古墳の被葬者が司祭者的性格をもっていたことがうかがえる。
古墳は、弥生時代の地域集団の首長の墓とはちがい、共同墓地から離れた場所に独立して築造されている事や、1人の首長のために1つの巨大な墳丘を築いている事などから、古墳時代の首長の権力は弥生時代より強大になり、支配者的性格が強まったと考えられる。
首長の古墳は、数基が集合して古墳群を形成している事が多く、これはその地域の首長の代々の権力継承の儀式の場としても古墳が機能していたのではないか、と考えられる。
5世紀になると、国内最大級の古墳である誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(応神陵)や大仙陵(だいせんりょう)古墳(仁徳陵)などが大阪平野に造られる。
造営方法も変化し、平野部に人工の巨大な盛土を築き、その周囲に濠をめぐらせている。副葬品も、馬具や金銀の装身具、須恵器など大陸伝来の技術によるものや、鉄製の武器や武具(軍事力を誇示するためと見られる)などが多くなる。
一言:濠は、盗掘者などを防ぐものではなく、神域を明確にしたのでしょう。)
この時期から関東にも巨大な古墳が造られている。6世紀には直径10m前後の円墳が10基〜100基ほどまとまって造られた群集墳が各地に増え始めた。
この頃になると、首長だけでなく有力農民層による古墳築造が増える。
農業生産力の発展で一部の農民が力を持ち、首長層の統率力が弱まったためと考えられている。
5世紀半ばに誕生した横穴式石室は、それまでの竪穴式石室と異なり、棺を納める「玄室」と、玄室と入り口とを結ぶ通路である「羨道」を持ち、墳丘側面に入り口を設ける構造になっている。
また、山の斜面に墓穴をつくる「横穴」も出現した。
一言:竪穴から横穴への変化は、古来よりある道祖神信仰と死者のよみがえりを信じたことで、石室を子宮に見立て、羨道を生まれ変わりし命の道=産道にみたてたとも考えられませんか?
副葬品に食器が加わったことなどから、「墓=死後の生活の場」と考えが変化した事がうかがえる。
6世紀末には、大和朝廷大王の墓も前方後円墳から方墳へと変化した。
これは、古墳の規模で権力誇示をするよりも、石室のつくりのほうが重要視されるようになったためと考えられている。
一言:前期古墳のうち、最高権力者のものが前方後円墳に限られるのであれば、後期の古墳の中ででは円墳よりも方墳のものが、高い権力、つまり皇室の墳墓の証で、二次元に広がる前期の前方後円墳は、やがて祭祀を行う方形を下段に、被葬者を埋葬する円形を上段にした立体的な墳墓へと変化し、皇族ではないが強大な権力をもつ豪族の墳墓も方形を用いないまでも、上下段を持つ立体的な墳墓となったのでは。)
この頃から、石室内部の壁に幾何学文様や絵を描く「装飾古墳」が各地で造られている。
一言:そして古墳時代の終末期には、律令体制による官位によって身分が誇示され、天皇に匹敵する豪族も現われたことで、方形を持たない墳墓、つまり豪族の墳墓でありながら、その権力を誇示するために壁画などの装飾を施した墳墓が現われたと思えるのです。)
関東では畿内よりも遅い時期まで古墳が造られ続けていたが、古墳の築造は8世紀になると全国的に消滅した。」と記されています。
そこで古墳の構造とその変遷 - MM総合研究所の記述と私の一言=自論が果たして当てはまるかどうかは分かりませんが、4つの終末期古墳を比較した自作の表をご覧下さい。
イメージ 1
4つの終末期古墳を比較した表

そもそも高松塚古墳の壁画がカビなどによって消滅の危機にあったとき、これを救うべく石室を解体するにあたって、似た構造を持つ石のカラト古墳の石室の構造を研究し、その構造を想定して高松塚古墳の石室解体を開始したところ、予想に反して荒削りな概観に戸惑ったといいます。
下の図で分かるように、石のカラト古墳の石室の側壁は非常に薄いもので、運搬は楽だったでしょうが、逆に加工技術は極めて高度なものが要求されます。
より後から造られた石室が、荒削りで緻密さに欠けるとは、とても不思議な事実です。
イメージ 2
石のカトラ古墳と高松塚古墳の石室構造

まだお話は続きますが、続きは明日の夜に

PVアクセスランキング にほんブログ村

.
上から目線
上から目線
非公開 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

友だち(2)
  • 湖池健彦 Essay
  • 土佐文旦
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事