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〜明日香村:マルコ山・石のカラト両古墳にも四神や天文図は隠れている〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!奈良県明日香村編
−キトラ古墳のページ−
朝鮮半島の円墳は神の国で 変化して
前回は、終末期の兄弟古墳と言われるキトラ古墳・高松塚古墳・マルコ山古墳・石のカラト古墳が、なぜか概観は1つとして同じものがないことを疑問に思い、古墳の歴史的変遷をだどることでその理由を知ろうとしましたが、結局なぜ概観が違うのかの結論までには至りませんでした。
ここから先は、松本清張や角川春樹ばりに自論を飛躍させて行きます。
面白いと思うか、バカバカしいと思うかは、あなたしだいです。
前回のページで問題にしたのは上円下方墳で、そのための前振りの記述だったことにお気づきの方はおられるでしょうか?
一連の一言コメントの中で、前期古墳時代で最有力者だけが前方後円墳に葬られていることに着目して、終末期の上円下方墳は、前方後円墳の変化したものではないかとした上で、結論としては、上円下方墳は、皇室の墳墓ではないかと言いたかったのです。
この仮定に立って判断すれば、4つの古墳の概観で最もオーソドックスな高松塚古墳の一段築成の円墳は、文句無く皇室ではない有力豪族の墳墓ということになり、二段築成の円墳であるキトラ古墳も、皇室ではない有力豪族の墳墓ということになります。そして、上円下方墳である石のカラト古墳は、皇族の古墳ということに。
そしてこの仮定に全く当てはまらないのは、六角形墳のマルコ山古墳です。
こうした論理が当たっているのかどうかを見るために、前回ご紹介した4つの終末期古墳を比較した表に、被葬者の有力説や私の考えた人物を示す欄を新たに加え、他にも不確定要素の築造順位や、特異な特徴をもつマルコ山古墳・石のカラト古墳の不思議な点を、何故か?として、以上3つの項目欄を加えた表として再び紹介してみました。
4つの終末期古墳を比較した表(不確定要素を加えて) 【疑問その1】
まずキトラ古墳・高松塚古墳の兄弟古墳と言われながら、マルコ山古墳・石のカラト古墳にはなぜ壁画がないのでしょう?
もしも四神や天文図が無いマルコ山古墳や、石のカラト古墳(天文図の痕跡らしき破片は確認)にも、それに変わる構造があると言ったら信じられますか?
例えばマルコ山古墳は、なぜ二段築成の六角形墳なのでしょう。
六角と言えば何を連想しますか?
他の四神と違いその姿となる動物の名が入っていないが、「武を分解すると『矛』と『止』になり、矛を止めるものが即ち亀の甲羅である」とか、「武は『巻きつく』という意味があり、絡みつく蛇からきている」とか、「玄武とは亀であり蛇であるため、動物の名は付けられない。ならば亀の甲羅と蛇の鱗から連想できるもの、即ち『鎧』=武とする」と言った説があるらしい。
また、その役割は北方守護とされ、北方は「水」に属するため、水神であるともされました。星の神としての性格も強いとされているようです。
つまり、六角形の概観を形作るだけで、四神や天文図を象徴していると言っても言い訳です。
そして石のカラト古墳には天文図の痕跡らしき破片はあったものの、四神の壁画は見当たりません。
ですが、不思議に思うことがあります。
なぜ石のカラト古墳の上円下方墳の上円は不自然に扁平なのでしょう?思い出してください。
キトラ古墳の天文図には、地平線や天球を現す円が複数描かれていました。その円に代るものが、扁平な上円と理解することはできないでしょうか?
更に下方には、上円の外円から下方の四隅に向かって掘られた溝があります。
この四分割は、キトラ古墳や高松塚古墳の東西南北の壁面に該当して星座の二十八宿を示し、その要としての四神をも現していると理解することはできないでしょうか?
お話はまだ続きますが、続きは次回にて・・・お楽しみに。
ただし、明日の夜は忘年会で帰宅しませんが、
石のカラト古墳の模型(飛鳥資料館より) ![]() |
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