|
〜平城京:第四皇女が飛鳥からの遷都を成し得た経緯(大化の改新など)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!平城京編
−キトラ古墳のページ−
朝鮮半島の円墳は神の国で 変化して
注:飛鳥時代のお話ですが、平城京への遷都までの道のりとしてご紹介しています。
「そもそも平城京って何?」って聞かれたら「えーっ、そこから?」って言ってしまいそうですが、今回は平城京に至る必然性を知るために飛鳥時代を振り返りたいと思います。
あのーっ ですね、ようするに
第38代:天智天皇の四女、つまり兄弟の仲でも下の方の女子が天皇になって奈良に都を造ったのが平城京なんです。
でもそれって「可笑(おかし)しくねーっ?」て思いません?むしろ思ってほしいんですよここは、
だってそうでしょう。
現代の天皇の継承者は男子に限るために、皇太子のお子様(愛子様)が女子だったために、法改正など髄分議論されましたよね。ところが古代の日本では女性の天皇も複数例あり、三男、四男が天皇になることも珍しくありませんでした。
ですが男子でもなく、しかも四女が天皇に即位して、更に更に新たな都を開いたのですよ。
気になりますよね、そこんとろろの事情って。なので今回から私なりの切り口でご紹介します。
皆さんは天智天皇をご存知ですか?「ご存知ない?」困りましたね。学校で教えられ、覚えるだけの科目としての歴史って、全く面白くないですからね、私もそうでした。
(一言:でもこのページには、自らの羽で来られたのですよね、それって習うですから。やっぱり何事も
自らがなくっちゃ。)
何を隠そうこの天智天皇こそ歴史の教科書では初めの方に必ず出てくる飛鳥時代の重大な政変:大化の改新を実行した人物の一人、中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)なんですけど、聞いたことあるような気がしますよね。
(ちなみに:大兄というのは、長男のことで、これに中のついた中大兄は次男を意味するので、中大兄皇子は、天皇の第二皇子ということになるのですが、これって個人名と言うより生まれた順位を表す代名詞に思えるのですが、なぜか個人名なんですね。これ以外に第一皇子を差し置いて天皇になった例がない?からでしょうか。)
この中大兄皇子が天智天皇となって生まれた四番目の女子こそが、710年に平城京を開いた元明天皇なのです。
大化の改新以前の大和の国は、邪馬台国など数々あった豪族が古墳時代に吸収合併を繰り返し、飛鳥時代になってやっと大和朝廷という大きな国になったものの、依然政権は安定しておらず、血で血を洗う政権抗争が絶えることがありませんでした。
そんな状勢の中、皇族をもしのぐほどの巨大勢力となったのが、蘇我氏です。
天皇家24代から37代までの系譜と付随する蘇我氏の系譜を示す系図
蘇我氏はもとももと渡来人がルーツとも言われ、高度な技術を持った技術集団としての渡来人をたくさん束ねいたために勢力を拡大したのですが、上の系譜図からもわかるよに、中大兄皇子の父:舒明天皇から、天皇家と蘇我家が親族関係を幾度も結んだことが巨大勢力得た最大の理由です。
(一言:この「ほしいまま」と解釈できる改新の詔の文書は、日本書紀の編纂(へんさん)の時に、蘇我氏が逆賊であることを強調する脚色があったという確かな証拠として藤原宮発掘によって大宝律令制定以前の木簡が出土しています。藤原宮の木簡は全て「評」と記されているのに対して、大宝律令以後の日本書紀には一貫して「郡」と表記されており、の蘇我氏に関する両者の内容を較べれば脚色があると。)
(一言:中臣鎌足は自身で自覚している以上におバカです。そして本当は鎌足に野望が有り有りだったのは、言うまでもないことですが。)
ですが、「俺様ってスゴイ!」と言い切れない自身をここで思い知り、そこでパートナーとして選んだのがスゴイ奴と認めた中大兄皇子なのです。
(一言:入鹿ちゃんミスったね。以前、真田雪村に係わ話の中でも触れましたが、身内の中に敵意をもたせないことは、一族の長には不可欠です。一族の娘むこ には最善のケアをしなきゃ。)
(一言:先に重要ポイトとした中大兄皇子に子がなかったことが、あからさまに皇位に執着することもなく、この場は孝徳天皇をバックアップした理由だったと思えます。)
(ちなみに:乙巳は陰陽五行の思想の中で、地上を巡っている神が天上に帰りる天一天上の13日目の日とされ、天一天上の期間中は、何をやっても祟(たた)りが無い日なんだとか。だからこんな残虐行為の実行日にしたんですね。なんて都合のいい日なんでしょう。)
(一言:ですが、その改革の中には、逆賊として暗殺した蘇我入鹿が実行しようとした政策を複数パクっているのです。これって大悪:おおわるでしょ。)
(ちなみに:軽皇子という諱:いみな を持つ皇子は複数存在します。孝徳天皇や文武天皇が軽皇子の諱を持ち、允恭天皇(いんぎようてんのう)の皇子の諱は、木梨軽皇子と称します。そんなややこしい諱について調べてみた中に「軽(かる)」には、双、つまり、双子の意味があるという記述がありました。
先に記したように、孝徳天皇には皇極天皇であり後に斉明天皇ともなる実の姉がいて、 文武天皇には元正天皇となる実の姉がいました。対して木梨軽皇子は、第一皇子でありながら、天皇とはなず、後に安康天皇、雄略天皇となる弟がいましたが、いずれも男子でした。でも双子がいるという共通点はなく、軽皇子同士で共通するのは姉が天皇になったという点です。しいて共通点を探すなら、第一皇子でありながら、道半ばにし第一皇子の使命を果たしきれなかったというこでしょうか。そのことが「軽(かる)」という諱の持つ意味なのでしょうか。嫡子が双子の場合も、何がしかの問題が長男に代わって次男が責務を継ぐことがあるのですから。)
天皇家34代から50代までの系図
これら第一皇子でありながら皇位を志半ばで近親に譲らなければならなかったことにこそ、当初疑問視していた第四皇女が天皇となり、新たな都を造りえた背景の一端があるのですが、人間関係がとっても複雑で、反面興味深い事でもあります。
なぜなら、日本神話の書かれた古事記や日本書紀は、この時期の前後で書かれたもので、日本の国としての始まりを知ることになるからです。
(ちなみに:天皇家と神話との係わりについては、神話の神々とこの時期の天皇家で類似する系譜を較べることで天孫降臨に係わる神とそれに符合する天皇家の人物について〜日本神話の天照大神と猿田彦乃神と天皇家について考える〜や〜太陽神代行アマテラスとドロップアウト神たちと天皇家の話的な〜にて私論をご紹介しました。)
この後の経過やより詳しい話は、次回にて紹介したいと思います。極力楽しく読めるように。 ![]() |
全体表示
[ リスト ]



