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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜平城京:大化の改新の後に在位した孝徳天皇と、母たる天皇の末路は
     サブタイトル:オヤジブログは自由だ!平城京編  

−キトラ古墳のページ−                
またも失敗は生かされず キトラ古墳  壁面より剥ぎ取られ保存 四神壁画
四神壁画より興味深いぞ 星宿図の差 星宿図から推察してみる 被葬者は
朝鮮半島の円墳は神の国で 変化して                     

注:飛鳥時代のお話ですが、平城京への遷都までの道のりとしてご紹介しています。

えーっ、やはり前回ご紹介した系図が無ければ、私も元明天皇から見た各天皇の関係性を示し辛いので、まずは貼り付けますね、

元明天皇の叔父、孝徳天皇について
皇極天皇の後を引き継いだのは、皇極天皇の実弟:軽皇子です。
前回ご紹介したように、蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変の後に、中大兄皇子(天智天皇)・中臣鎌足藤原鎌足)の後ろ盾を得て、母:皇極天皇より皇位を譲位されて第36代孝徳天皇となります。
皇后としては、舒明天皇の子であり、自身にとっては姪(めい)の間人皇女をむかえますが、子二人の間に子は無く、阿倍倉梯麻呂(阿倍内麻呂)の娘の小足媛との間に有間皇子を儲けたのみです。
そして、姉である皇極天皇は、皇祖母尊(すめみおやのみこと)という称号が与えられます。
ちなみに軽皇子(後の孝徳天皇)と小足媛(おたらしひめ)の間に生まれた有間皇子の名は、二人が有馬温泉に滞在中に生まれたので,待望の皇子に「有間」と名付けたそうですよ。

結果としは皇位を譲位された軽皇子ですが、実はそれ以前に譲位三度辞退して、舒明天皇の第一皇子である古人大兄皇子を推薦しますが、古人大兄は辞退して出家したのです。
ちなみに古人大兄皇子が皇位を辞退したのには訳があります。大臣蘇我入鹿は、蘇我氏の血をひく古人大兄皇子皇極天皇の次期天皇に擁立しようと望みました。
そのため、有力な皇位継承資格者・山背大兄王厩戸皇子の子)の存在が邪魔になり、643年11月、入鹿は斑鳩宮を襲い山背大兄王とその一族を滅ぼします。645年6月、三韓から進貢の使者が来日し、宮中で儀式が行なわれた。古人大兄皇子皇極天皇の側に侍していたが、その儀式の最中、異母弟・中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌子(藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺する事件が起きたのです。そんな惨状を知る古人大兄皇子は、つくづく宮中での暮らしがいやになったのでしょう。もしもこれを受けたなら、必ずいつか暗殺されると。
にもかかわらず、同年9月12日古人大兄皇子 は、謀反を企てている」との密告により、中大兄皇子の命によって攻め殺されます。実際に謀反を企てていたかどうかは不明であるとか。一言、きっと濡れ衣でしょう。
即位の後、孝徳天皇は各分野で制度改革を行ない、後世の学者はこれを大化改新と呼びます。しかし、この改革につき日本書紀が引用する改新之詔4条のうち、第1条と第4条は、後の世の官制を下敷きにして改変されたものであることが分かっており、日本書紀が述べるような大改革はこのとき存在しなかったのではないかという説が唱えられ、大化改新論争という日本史学上の一大争点になっているそうです。
一言:歴史上の史実として不確定な改革ならば、テストに出ない?いや、出しちゃダメでしょう。)
孝徳天皇難波長柄豊碕宮大阪市中央区)を造営し、そこを都と定めました が、653年に、皇太子:中大兄皇子は天皇に倭京(飛鳥の地)に遷ることを求めます。 天皇がこれを退けると、皇太子:中大兄皇子難波長柄豊碕宮より姉:皇祖母尊と妻:間人皇后、皇弟(=大海人皇子)を倭(飛鳥の地)に連れかえり、 臣下もまたその大半が皇太子に随って宮を去ります。翌年、 天皇は失意のあまり?病を得、没します。
一言:分かるよ、国権の最高位にありながら従う者のない辛さは、家長でありながら存在感のない私としては。「全くもって辛すぎます。もうすぐ年越しだというのにね。」って、信じます?)

かくして、孝徳天皇の半生は、49歳で望まぬ即位から始まり、58歳で失意の中で崩御となる、在位9年の泡沫(うたかた)のようなものでした。
姉である皇極天皇は、この訃報(ふほう)を知った時、何を思ったでしょう。
一言:とは言え、大化の改新の功績が日本書紀上の捏造(ねつぞう)だとするなら、姉:皇極天皇や臣下の離反も止む無きこととなります。大化の改新論争の決着を待ちましょう。)

さて、孝徳天皇の死後、皇位を継いだのは、有ろう事か皇極天皇転じて皇祖母尊(すめみおやのみこと)となった姉が再び皇位を継承します。

元明天皇の祖母皇極天皇が再び即位して斉明天皇となった後の事について
皇祖母尊皇極天皇)にとって孝徳天皇は、不出来な弟だったかもしれませんが、の死に全く心を動かさなかったとは思えません。ですが皇祖母尊皇極天皇は、基本的には親バカだったのではないでしょうか、孝徳天皇の崩御後、655年1月、62歳のとき、飛鳥板蓋宮で再び皇位につきます。(史上初の重祚)。
それもこれも我が子のためで、政治の実権は我が子である皇太子:中大兄皇子が執ったようです。
日本書紀』によれば、しばしば工事を起こすことを好んだため、労役の重さを見た人々は皆、斉明天皇批判したようです。
斉明天皇として皇位につき、我が子中大兄皇子(後の天智天皇)を皇太子に立て後は、各地の土木工事を推進し、東北の蝦夷侵攻なども積極的に行います。それはつまり、政治は我が子に任せ、自らは我が子のために国の礎(いしずえ)をきづこうとしたのでしょう。残り少ない我が身を思えば、工事は強行を極め、その行状は、民の目から見れば、先の皇極天皇としての行状に比べ、狂人のように映ったのでしょう。
現在の明日香村に残る石造物の多くは、この時期に斉明天皇の命によって建造されました。
655年に再び即位した時、斉明天皇すでに還暦をすぎていました。
飛鳥の岡本に皇居の造営をはじめ、田身嶺(たむのみね)の頂に垣を巡らせ、穎の上の二本の槻(つき)の木のそばに高殿を建てて両槻宮(ふたつきのみや)と名付け、吉野に離宮を新造するなど、土木工事を次々に起こします。さらに、女帝は巨大な石垣を築く計画をたてます。
その折、香具山の西から石上山まで溝を堀るため、三万余とも七万余ともいわれる人夫が集められたといいます。
この溝は運河のようなもので、完成すれば船を浮かべ、垣にする石を運ぶ計画だったようですが、人びとの間から「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)うらみ嘆くがあがります。また、「石の山丘は作るはしから崩れるだろう」との非難もあったようです。
蘇我臣赤兄(そがのあかえ)にそそのかされた有間皇子(ありまのみこ:孝徳天皇の遺児)は、叔母でありながらその弟である父を死に追いやった恨みも有ってか、これを批判し、謀反をはかったとして処刑されてしまいます。
民衆を打ちひしぐ大土木工事、陰湿な謀略。斉明朝をして「狂乱の時代」とよぶ研究者がいること、
日本書紀の「斉明天皇2年(656)是歳条」には、有名な田身嶺の周垣と両槻宮および「狂心の渠」と呼ぶ石の垣のことは、あながち的はずれでもないとしています。
斉明天皇となった当初は、高句麗百済新羅といった大陸からの使者や蝦夷隼人も衆を率いて都に訪れます。これらの人々を厚くもてなすためにも、各種の大工事は必要だったのです。
有間皇子の変に際して、蘇我赤兄は天皇の3つの失政を挙げています。
一つ、 大いに倉を建てて民の財を積み集めた。二つ、長く溝を掘って公糧を損費した。三つ、船に石を載せて運び積んで丘にした。と
しかしやがて大陸では、中国のに変わって強大な帝国としてが台頭し、周囲に勢力をのばし、朝鮮半島では新羅・百済・高句麗の三国が互いに争い、大きな波乱を含んでいました。
660年、新羅と連合して高句麗を攻め、たちまち高句麗は滅亡します。当然次の標的は百済です。
そこで斉明天皇は古くから友好国だった百済を救うべく、援軍として自らも難波津をで出発し、瀬戸内海を一路北九州へと船を走らせます。もちろん我が子である中大兄皇子大海人皇子も一緒です。
しかし高齢の斉明天皇にとってこの航海はあまりに過酷だったに違いありません。
結局は九州に遠征中に、朝倉の宮(現福岡県朝倉郡)で死去してしまいます。享年67歳のことでした。その遺骸を大和へ運ぶ舟中で、息子の中大兄皇子天智天皇)は、亡くなった母:斉明天皇を哀慕しての以下の歌を詠んでいるそうです。

冬十月、癸亥の朔にして己巳の日、天皇の喪、帰りて海に就きき。ここに皇太子、一所に泊はてて天皇を哀慕しのび奉り給ひ、すなはち口づから号ひ給ひしく

君が目の恋ほしきからに泊てて居て斯くや恋ひむも君が目を欲(ほ)り

(通釈) あなたの面影が恋しいばかりに、ここに舟を泊めています。
あなたをこんなに恋しがるのは、ただもう一度お会いしたいからなのです。

かくして、皇極天皇こと斉明天皇は、夫のため、子のために2度の皇位を勤め、周囲の悪評を一身に背負いながらも、子のために生き、戦いへと出向く異郷の地で生涯を終えます。享年67歳
皇極天皇時の在位3年と斉明天皇時の在位6年の計9年と、以外にも短いもので、弟である先代の孝徳天皇と同じ在位期間でした
一言:確かに、子を思う母は偉大です。とは言えとりわけ斉明天皇時の民にとっては、受難の時代だたのです。
イメージ 1
平城京跡 太極殿を西より望む

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