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〜平城京:天智天皇の子供たち、それぞれのドラマ(3)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!平城京編
注:飛鳥時代のお話ですが、平城京への遷都までの道のりとしてご紹介しています。
●天智天皇の子供たち●
皇子皇女名 | 天皇名 | 実 母 | 婚 姻 者 | 生年 | 没 年 | 享年|死因・その他
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⑧新田部皇女(にいたべのひめみこ)
699年に死亡した時、葬儀には皇族・臣下および百官の人々が参列する様にと勅があった。
⑨志貴皇子(しきのみこ) 第七皇子 田原天皇とも称される。
実の姉弟:なし
壬申の乱により、皇統が天武天皇の系統に移ったために、天智天皇系皇族であった彼は皇位継承とは全く無縁だった。政治よりも和歌等文化の道に生きた人生だったが、薨去から50年以上後の770年に、聖武天皇の娘井上内親王を后とし、母系では天武系となる他戸王を儲けていた六男の白壁王が、皇嗣に擁立され即位した(光仁天皇)ため、春日宮御宇天皇の追尊を受けた。
かくして皇位に一切執着せず清らかな人生を終えた彼の系統が現在まで長く続く事となった。
(一言:つまり志貴皇子は生前は皇位につくこともなかったのに、50年以上後の子孫:白壁王が聖武天皇の娘井上内親王を妻とし、儲けた子が天武系の皇子:他戸王で、後に即位して光仁天皇となったため、過去にさかのぼって志貴皇子も春日宮御宇天皇という大王の称号を賜り、現在の天皇家の血筋に受け継がれているのです。)
清澄で自然鑑賞に優れた歌い手として『万葉集』に6首の歌を残している。代表的な歌として、「石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも」(岩の上を流れる滝の上に蕨が芽を出し、春を感じることよ)が有名。
⑩大友皇子(おおとものみこ:弘文天皇)
/実の兄弟:なし
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