|
〜平城京:天智天皇の子供たち、それぞれのドラマ(4)〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!平城京編
注:飛鳥時代のお話ですが、平城京への遷都までの道のりとしてご紹介しています。
●天智天皇の子供たち●
皇子皇女名 | 天皇名 | 実 母 | 婚 姻 者 | 生年 | 没 年 | 享年|死因・その他
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
⑪阿閇皇子(あべのみこ)
実の子:不明 /実の兄:弘文天皇/実の妹:阿雅皇女
『日本書紀』には名が見えず、「伊賀国名所記」に弘文天皇の同母弟と書かれているが真偽は不明。そのため、架空人物説も出ている。また皇子ではなく、皇女であり、阿陪皇女(元明天皇)と同一人物説もある。
⑫阿雅皇女(あがのひめみこ)
実の子:不明 /実の兄:弘文天皇・阿閇皇子
『日本書紀』には名が見えず、「伊賀国名所記」に弘文天皇の同母妹と書かれているが真偽は不明。そのため、架空人物説も出ている。
⑬川島皇子(かわしまのみこ) 第二皇子
685年冠位四十八階が施行されると、忍壁皇子(天武天皇とかじ媛娘との間に生まれた子)とともに浄大参に叙せられており、天智天皇と天武天皇の諸皇子の中では、天智天皇の子でありながら、草壁皇子(天武天皇と鵜野讃良皇后との間に生まれた子)・大津皇子(天武天皇と大田皇女の間に生まれた子)・高市皇子(天武天皇と尼子娘との間に生まれた子)に次ぐ序列であった。
(一言:つまり、川島皇子は、『時の天皇』と『皇后』との間に生まれた子と、『時の天皇』と『皇后の妹』との間に生まれた子に次ぐ序列で、『時の天皇』と『皇后や妃ではない女性』との間に生まれた子より上位だったということです。)
また、川島皇子は、天武天皇の皇子らとの序列においてだけではなく、封戸においても高市皇子に次ぐ戸数であった。
686年9月に天武天皇が崩御すると、10月に大津皇子が謀反を理由に捕えられ自害させられるが、この際に川島皇子が親友であった大津皇子の謀反計画を朝廷に密告したとされる。
しかし、『日本書紀』のこの事件に関する記事に川島皇子の名がない上に、褒賞を与えられた形跡もないことから、密告は史実ではないとする見方もある。
691年年9月に薨去。越智野(現在の奈良県高市郡高取町の北部から明日香村西部にかけての低丘陵)に葬られた。
![]() |
全体表示
[ リスト ]






