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〜小山田遺跡:蘇我入鹿・蝦夷の怨念が陵墓上の校舎を退けた?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!平城京編
今回から再びお話を明日香の地へと戻したいと思います。
「奈良県明日香村川原の小山田(こやまだ)遺跡で、飛鳥時代中頃(7世紀中頃)の巨大な古墳の墳丘の一部と濠(ほり)跡が見つかり15日、橿原考古学研究所(橿考研)が発表した一辺50メートル以上の方墳と推定され、第34代の舒明(じょめい)天皇の初葬墓(しょそうぼ、改葬前の墓)もしくは
蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子の墓として日本書紀に登場する双墓(ならびのはか)のうちの蝦夷の大陵(おおみささぎ)ではないかと話題を呼びましたが、奈良県教委は、このほど溝をいったん埋め戻した上で保存する方針を固めたそうですね。
私としては、極めて懸命な判断だと安堵しています。
溝は県立明日香養護学校の教室棟5棟のうち、1棟の建て替え工事に伴って見つかった。県教委はその1棟を当初計画より北側にずらして建設し、遺構を保存した上で、国史跡指定を目指して将来的な活用策を検討するそうです。
(一言:じっくり時間をかけて検討していただき、後々までも現在の姿をとどめたまま保存してほしものです。一般公開はくれぐれも慎重に。と思うしだいです。)
現場には、1966年の養護学校開校当初に建てられた教室棟1棟(鉄筋コンクリート平屋建て約440平方メートル)があった。耐震診断で強度不足と判明したために撤去し、昨年11月から橿考研が発掘調査をしていたところ、溝を確認した。
(一言:ここ最近つづく巨大地震のお陰でこの遺跡がみつかったのですね。とすると、そうした巨大地震は蘇我入鹿・蝦夷の祟りだったりして。)
県教委は教育活動が続いている事情を考慮し、遺構に砂をかぶせて保護した上で埋め戻す方針。一方、考古学上、重要な発見であることを踏まえ、将来の公開なども視野に校舎の建設位置をずらすことにした。
(一言:ということで、入鹿・蝦夷の怨念が自らの陵墓上に校舎が建つことを許さなかったのでしょう。ですが、後に一般公開されることは良しとするのでしょうか?あくまでも舒明天皇初葬墓ではなく、蝦夷の大陵(おおみささぎ)だったらばの話ですが・・・。
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