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〜小野妹子墓の横にある科長神社の彫物がけっこうスゴイ〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!蘇我氏編
大阪府南河内郡太子町にある小野妹子墓へと上る石段の横には、科長神社があります。
一見するととても地味な神社なのですが、よく見ればとても造りがよく、立派な普請がなされています。
科長神社 - Wikipediaによれば、
科長神社の創建の由緒は不詳である。元は二上山上に鎮座し、二上権現と称していた。延喜式神名帳には「河内国石川郡 科長神社」と記載され、小社に列している。暦仁元年(1238年)に現在地に遷座した。現在地には元々恵比須神社(一名 土祖神社)があり、科長神社が当地に遷座するに当たりその末社とされたと伝える。
江戸時代までは八社大明神と称していた。『式内社調査報告』では「藤原頼孝が二上権現を現在地に遷座させた時に藤原氏の祖神である春日神を勧請・合祀し、科長神社の旧名を抑えて八社大明神と称したのであろう」としている。
また、当地は神功皇后誕生の地という伝承もあり、社宝に神功皇后所用と伝える雛形の兜がある。『式内社調査報告』では「科長→磯長→息長と転じ、息長氏の出である神功皇后の誕生地伝説が生まれたのではないか」と記している。
明治5年4月1日に郷社に列格し、明治40年1月28日、神饌幣帛供進社に指定された。明治40年、近隣の科長岡神社・素盞嗚神社を合祀した。
祭神としては、
風の神である級長津彦命・級長津姫命を主祭神とし、以下の神を配祀・合祀する。
見事な竜の彫り物と、その上の蛙股の形状をした鷹?それとも鳳凰かな?
蛙股の形状をした梅に鶯(うぐいす)の彫り物
梅の花咲く大木に、2匹の鶯が彫られているのがわかりますか?
唐獅子の彫り物
竹に雀の彫り物
竹に虎?それとも唐獅子の背中に蛇が乗っている?
虎にしてはブルドックのような顔なので正体がわかりません。
摂社の入母屋の破風にも銅製の竜の金具が
竜の鬼瓦が見事
ところで、こちらの神社の夏祭りには、珍しい舟形の地車が出るそうです。
この地域は内陸部で、海に隣接していたり大きな湖や大河もありません。
なのになぜ舟形の地車なのでしょう。不思議ですね。
私は勝手な推測をして、ひょっとしたら飛鳥時代の頃にあった河内湖・難波宮へと船出する船があったのかと考えたのですが、そうではないようです。
太子町科長神社によると、
「山の中の舟」に疑問をもった同行のリポーター(?)が、古老にお尋ねしたところ、「昔、大阪の天神さんの祭りを見に行った地元の富豪が曳かれていた舟型だんじりを見て、自分の所にも欲しいと思って作ったのが始まりや」とのことでした。
この地域のだんじりはみな船形だったそうですが、現在は永田町のそれは普通のだんじりだそうで、以前は永田も舟型だんじりでしたが、惜しくも焼失したとのことでした。 現在は、後屋と東條、2台の舟型だんじりを含めて5台のだんじりが宮入しています。
というのが真相だそうです。
「なーんだ。」と思ってはみたものの、「昔、大阪の天神さんの祭りを見に行った地元の富豪が・・・・」の『昔』とは、ひょっとしたら飛鳥時代頃まで時代をさかのぼった昔かもしれませんよね。
あっそうか、よく考えると、大阪の天神祭は、そんなに長い歴史はないですよね。
また、こちらの神社の形式は、三間社流造といい、流造の構造は、切妻造・平入であるが、側面から見た屋根形状は対称形ではなく、正面側の屋根を長く伸ばす。屋根には大社造同様の優美な曲線が与えられる。この点で直線的な外観の神明造と異なり、屋根は茅葺に限らず柿葺、檜皮葺、銅板葺など幅広い。 側面の破風は懸魚などで装飾され、優美な曲線を描く。 屋根の勾配はきつくなく、前面に長く流れるように伸びる蓑甲(みのこう)から向拝にかけての曲線を強調し、柱は、身舎(もや)の柱は丸柱、向拝は角柱とする。
桁行(正面)の柱間が1間(柱が2本)であれば一間社流造、3間(柱が4本)であれば三間社流造というそうです。
夏祭りの舟形地車
(太子町科長神社より)
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