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〜飛鳥時代からあった難波宮跡を上から目線で〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!おもろいなぁ大阪編
以前ご紹介した〜平城京:大化の改新の後に在位した孝徳天皇と、母たる天皇の末路は〜の中で、蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変の後に、中大兄皇子(天智天皇)・中臣鎌足(藤原鎌足)の後ろ盾を得て、母:皇極天皇より皇位を譲位された第36代孝徳天皇は、難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)を造営し、そこを都と定めました が、653年に、皇太子:中大兄皇子は天皇に倭京(飛鳥の地)に遷ることを求めます。 天皇がこれを退けると、皇太子:中大兄皇子は難波長柄豊碕宮より姉:皇祖母尊と妻:間人皇后、皇弟(=大海人皇子)を倭(飛鳥の地)に連れかえり、 臣下もまたその大半が皇太子に随って宮を去ります。翌年、 天皇は失意のあまり?病を得、没します。
この飛鳥時代の難波長柄豊碕宮は、第一次難波宮といい、現在の大阪城の南側にあります。
ただし、現在の史跡は、奈良時代に建て直された第二次難波宮跡です。
今回はこの難波宮跡をプチ空撮した画像の一部をご紹介しておきます。
難波宮跡の背後に大阪城・大阪府警察本部・NHK大阪などがあります。
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