〜難波宮を上から魚眼撮影、飛鳥時代からの大阪の栄華は終焉する〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!終わったなぁ大阪編
大阪城の南側に史跡として残る難波宮跡は、飛鳥時代より乙巳の変ののち、645年に孝徳天皇は難波(難波長柄豊崎宮)に遷都し、宮殿は652年に完成した。天皇制の始まり、元号の始まりである大化の改新とよばれる革新政治はこの宮でおこなわれた。この宮は建物がすべて掘立柱建物から成り、草葺屋根であった。『日本書紀』には「その宮殿の状、殫(ことごとくに)諭(い)ふべからず」と記されており、ことばでは言い尽くせないほどの偉容をほこる宮殿であった。
孝徳天皇を残し飛鳥(現在の奈良県)に戻っていた皇祖母尊(皇極天皇)は、天皇が没した後、655年1月に飛鳥板蓋宮で再び即位(重祚)し斉明天皇となった。
683年(天武12年)には天武天皇が複都制の詔により、飛鳥とともに難波を都としたが、686年(朱鳥元)正月に難波の宮室が全焼してしまった。
- そして今、橋下氏の大阪都構想の是非を問う大阪市の住民投票の結果、都構想は夢と消え、橋下氏も政界を退く決意を発表しました。
- 恐らく私以上の世代は、「変化してもしも大阪の政治・経済が今より悪くなったらどうしよう。」と考え、
- 「今より悪化する可能性があるなら、現状のままで。」と結論づけた結果が今回の投票結果につながったのだと思います。
- 橋下氏の言動には少なからずマイナスの面があったのは確かです。
- ですが都構想はやってみる価値があったと、私は思います。
- 変化することを恐れた大阪は、このまま衰退の途をたどると予想するのは、私だけでしょうか?
- 大田房江氏や、平松前市長が今、勝ち誇ったかのようによみがえり、跋扈(ばっこ)する大阪は、
- またぞろ私物化しうる公金の蜜に群がる役人・議員が肩で風を切る。そんな大阪に逆戻りすることでしょう。
- 大阪が破産し、息耐えるまで・・・。
- それはあたかも大阪の陣で徳川に敗れ炎上した大阪城や、686年(朱鳥元)正月に難波の宮室が全焼してしまった頃のごとくです。
- 言い過ぎですか?いいえ、きっと言い足りないはずです。
- (一言:「自分の意見が通らなかったから政治家をやめる。」と解釈する人は、そんな橋下氏は無責任を批判します。ですが私的には、今回の選挙に負けたから引責辞任すると、逃亡した江田 憲司氏こそ問題視すべきだと思います。いかにも元官僚らしい風見鶏的嗅覚を持つ政治家だと。維新の会のピンチにこそ先頭に立って行動する男気を期待する方が馬鹿なのでしょうが。)
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堀野さん、こんにちは!
大嫌いな橋本さんですが、大阪都構想の住民投票には勝ってほしかったですよ。大阪を良くできるのは、彼しかいませんから。本当に残念な結果でした。
堀野さんは、堺から和歌山へ移って、本格的に写真家活動をなさるのですね。私は今月は週末は東京の学校に通って勉強しています。
本当は東京に住みたいのですが、高齢の父親が居ますし、
まだしばらくは信州に住み続けます。
ブログを通じて、同年代の方々と知り合えるのは嬉しいです。
2015/5/28(木) 午後 3:24 [ 湖池健彦 Essay ]
湖池健彦 aromaさん
私の同居している両親も80歳を超えています。
引っ越しは本当に疲れます。恐らく自身の体力的にも、最後のチャンスだったと思います。
ですが私以外の家族が知らぬ間に決めた物件だったんですよ。
大阪の橋下氏を駆逐した在来勢力は、今度は責任を持ってよい大阪治世を行ってもらわなければなりませんね。
それこそ、かなわぬ夢のような気がしますが・・・・。
いや、そう言われないためにも頑張ってや、大阪のお役人!!
2015/6/1(月) 午後 9:23 [ 上から目線 ]