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〜新たな居城地、和歌山県橋本市周辺について〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
そもそも、私が移住した和歌山県について近畿圏意外の方はどれほどご存知でしょうか?
まずは和歌山県にどんな市町村が有るかをご説明する必要がありますね。なので地図をご覧下さい
私の新たな居住地となった橋本市は、大阪府の南部県境に隣接した5つの市(和歌山市・岩出市・紀の川市・葛城市・橋本市)の内、最も東側にあり、奈良県五條市に隣接しています。
従って北部には大阪府との県境となる金剛山地、東側には奈良県吉野の山々、南側には高野山系と三方を山に囲まれていますので、あえて平野部と言えば、和歌山県北部を東西に流れる紀ノ川に沿ってわずかに広がっていると言っていいのではないでしょうか、なので町並みも紀ノ川沿いに広がっています。
橋本市については、引っ越して来たばかりなのでこれから追々散策して目新しいことがありましたらご紹介するとして、
先日来ご紹介している戦国武将:真田幸村の幽閉地である九度山町や、丹生都比売神社のあるかつらぎ町について少し掘り下げてご紹介したいと思います。
1つ目の地図画像には、かつらぎ町・九度山町・高野町に取り囲まれるように縦書きの赤文字で、伊都郡という文字が記されています。
伊都郡 - Wikipediaによると、伊都郡とは、人口24,983人、面積332.87km²、人口密度75.1人/km²。(2015年5月1日、推計人口)で、かつらぎ町(かつらぎちょう・九度山町(くどやまちょう)・高野町(こうやちょう)の3町を含む地域だそうです。
私がこちらに引っ越す前に長年住み続けた堺市中区が、人口124,283人。 面積は17.94km²、人口密度は6,930人km²です。
両者を比べてみると、人口密度に両地域の違いが如実に現れていて、堺市中区に比べて伊都郡の人工密度は実に100分の1以下になります。
ですがそんな数字のことは別に面白い話ではありませんよね。
面白いのは伊都郡の歴史です。
堺県(さかいけん)とは、1868年(慶応4年)に和泉国および河内国の一部の旧幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。当初の管轄地域は主に現在の大阪府南西部(和泉国)ですが、のちに大阪府東部(河内国)、さらに奈良県全域(大和国)が編入されたそうなのです。
明治時代初期に廃藩置県の行われた当時の県地図
明治に入ると廃藩置県により堺が明治政府の直轄地となり、1868年「堺県」として、現在の奈良県を含む大きな行政区域に昇格し、1881年2月に大阪府に編入されるまで続いた。
江戸時代の藩を示す地図
その和泉国に明治時代になると伊都郡も含まれたということになります。
更に更に江戸時代以前の戦国時代で言うと、豊臣政権の中初期には奈良県大和郡山市にあった郡山城(こおりやまじょう)が豊臣秀吉の実弟羽柴秀長の居城となり、その領国であった大和・紀伊・和泉に及ぶ100万石の領地の中に伊都郡も含まれていたのです(郡山城 (大和国) - Wikipediaより)。
つまり現在では堺市から橋本市に引っ越して来たということは、他府県に移住したことになりますが、明治時代初期以前で言えば、全く同じ藩もしくは領地の中で移り住んだということになってしまう訳です。
いかがでしょう?私的には面白いお話なのですが、これらの地域に縁の無い方にとってはさして面白い話でもないでしょうか?
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