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〜天野の里の史跡:石造五輪卒塔婆群にある脇ノ宿石厨子と役行者〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
あちゃーっ、以下の記述は、誤って昨日のページ(〜天野の里の史跡:石造五輪卒塔婆群にある謎の板碑〜 )に上書きしてしまいました。
〜天野の里の史跡:修験者の残した記念碑、石造五輪卒塔婆群〜でご紹介した石造五輪卒塔婆群にある碑は、これまでにご紹介し終わっていますが、そこにはもう一つ脇の宿石厨子というものがあります。
この厨子は元(わき)『脇ノ宿』にありましたが、明治の頃ここに移されました。
そしてその内部には,葛城修験の御本尊「役の行者」の石像が安置されています。
葛城修験は、毎年四月七日丹生明神の御神体を山伏の笈に移して脇ノ宿にこもり、五月四日天野を出発し、加太よりニ上山まで二十八宿四十九院を巡り、六月十八日、御神体を神社にお還しする神還祭まで修業を行うそうです。
葛城二十八宿 - Wikipediaによれば、また、修験の道 » 葛城修験について - 三井寺によれば、
役行者(えんのぎょうじゃ:役小角)は、すでに奈良時代から傑出した山伏(修験者)の代表的存在として知られていました。山伏とは、まさに山野に伏して修行し、呪術的験力を獲得した者のことで、中世以降になると役行者は修験道の開祖と仰がれるようになり、役行者1100年の御遠忌を迎えた寛政8(1799)年には「神変大菩薩」の諡号を授与され、現在に至るまで篤く尊崇されてきました。 役行者は、飛鳥時代の舒明天皇6(634)年に現在の奈良県御所市茅原の地に生まれました。現在、誕生所に建つ茅原山吉祥草寺には、役行者産湯の井戸も残されています。この茅原の里から西方を眺めると、すぐ間近に金剛山を主峰とする葛城山系が望見されます。『日本霊異記』をはじめ伝記の伝えるところによれば、役行者は若いときから葛城の山中に分け入り、洞窟にこもって修行を重ね、孔雀明王の呪法を体得し、不思議な験力をもって鬼神を自在に使役したといいます。ことに『日本霊異記』には、役行者が葛城から大峰山に通いやすくするために葛城山と吉野・金峰山の間に橋を架けさせたとの逸話を伝えています。 中世以降になると、真言密教の金胎両部の曼荼羅を表する「密の峰」である大峰山に対して、葛城山は、役行者が法華経二十八品を埋経したことから「顕の峰」あるいは「法華経の峰」と考えられるようになりました。 (ちなみに:「顕(けん)の峰」の顕は、顕教を意味しています。顕教とは、弘法大師による真言密教から見てそれ以外の密教をさす言葉で、顕には明らかという意味があるため、普通の人々にもわかるように,言語文字のうえに,明らかに説き示された教えの意味になり、狭義には役行者の教えを意味するようです。)
そして葛城修験とは、
大峰山と並ぶ修験道の聖地・葛城山は、大阪・和歌山県境を東西に連なる和泉山脈から北上して奈良・大阪県境の金剛山脈へと連なる峰々の総称です。
上記したように、修験道の開祖・役行者が法華経八巻二十八品を埋納したとの伝承による経塚(葛城二十八宿)があり、西は和歌山県加太町の沖に浮かぶ友が島(序品経塚)から犬鳴山(第八品)、和泉葛城山(第九品)、牛滝山(第十品)、岩湧山(第十五品)を経て金剛山頂(第二十一品)に至り、さらに北上して大和葛城山から二上山(第二十六品)、そして大和川沿いの亀の瀬(第二十八品)に至るまで各所に経塚や行場が連なっています。また、このルートに沿って葛城修験の中心寺院である犬鳴山七宝瀧寺、金剛山転法輪寺をはじめ根来寺、粉河寺、槇尾山施福寺、當麻寺など多数の霊場寺院や神社があるそうです。
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