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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜天野の里の史跡:奥之沢明神と祝詞(のりと)と安倍清明の関係
     サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編  


かねてより当ブログでは、和歌山県かつらぎ町にある天野の里についてご紹介していますが、そもそも天野の里とは何なのか?について、恐らくよくご理解いただけぬまま当ブログをご覧になっている方が多いのではないかと思います。
なにせ、私自身が生まれも育ちも大阪ですので、言わばよそ者ですから、ここまで何となく分かった気でご紹介していましたが、今回ご紹介する奥之沢明神(おくのさわみょうじん)の事を調べている内に、よく理解せずにご紹介している事に気づきました。

神に対して失礼ながら、現地で初めて奥之沢明神(おくのさわみょうじん)を見たおりには、
「なんとも小さくて小汚い祠だなあ。」というのが、私の正直な感想でした。
それは、丹生都比売神社がステキな神社だっただけに、この祠の有り様が殊更に際立って見えたからかもしれません。だってこんな祠ですよ。

イメージ 2
奥之沢明神

さて本題の奥之沢明神(おくのさわみょうじん)についてですが、
現地のその説明書きがこれです。
イメージ 1
奥之沢明神の説明板

どうです、読めますか?酷い状態でしょ。

問題はこの奥之沢明神(おくのさわみょうじん)の説明書きの内容ですが、

奥之沢明神
「ここは丹生明神が始めて入った所と伝えられています。
丹生告門(にうのりと)は、和銅三年(710年)に書かれましたが、それには奥之沢明神が王谷の岩口の滝の神として現れ、大和方面より九度山、古沢(こさわ)を通り、小都知(おづち)の峯(みね)を越えてここに降り、さらに、紀伊の北辺を巡り、ここにおり立たれたといいます。その後、紀伊の北辺を巡り、鎮守の神としてこの地に祀られました。
と記されています。

つまり丹生明神(にうみょうじん)が初めてを踏んだ場所が、奥之沢明神のあるこの場所だということなのです。
ここで私は「丹生明神って?」と疑問に思ったのですが、結局丹生明神=丹生都比売神だということが分かりました。
そんな奥之沢明神のある場所は、以下の天野の里散策案内図の右に表記されています。

ところで、上記の説明書きの中の和銅三年(710年)に書かれたという丹生告門(にうのりと)って何でしょう?
それは、冒頭の書き出しくらいは皆さんよくご存知の丹生告門(にうのりと)=丹生大明神告門ですが、改めてご紹介しておきます。
丹生大明神告門
懸幕(かけまく)も恐(かしこ)き皇大御神(すめおおみかみ)を
歳(とし)の中に月を撰び、月の中に日を撰び定めて
霜月の秋の御門(みかど)、仕えまつりて申さく。
高天原(たかまがはら)に神(かん)積(つま)ります、
天(あめ)の石倉押し放ち、天(あま)の石門(いわと)を忍(お)し開き給ひ、
天の八重曇を伊豆の道別(ちわ)きに道別(ちわ)き給ひて、
豊葦原(とよあしはら)の美豆穂(みづほ)の国に美豆(みづ)け給ふとして、
国郡(くにごおり)は佐波(さわ)にあれども、
紀伊国(きいのくに)伊都郡(いとのこほり)庵田村(あんだむら)の石口(いわくち)に天降(あまも)りまして、
大御名(おおみな)を申さば恐(かし)こし、
申さずば恐(かし)こき伊佐奈支(いざなぎ)伊佐奈美(いざなみ)の命(みこと)の御子、
天(あま)の御蔭(みかげ)、日の御蔭(みかげ)、丹生都比賣(にうつひめ) の大御神と大御名(おおんな)を顕はし給ひて、
丹生川上、水分(みくまり)の峯(みね)に上り坐(まし)て国かかし給ひ、
下り坐(まし)て十市(といち)の郡(こおり)、丹生に忌杖(いみづえ)刺し給ひ、
下り坐(まし)て巨勢(こせ)の丹生に忌杖刺し給ひ、
下り坐(まし)て宇知郡(うちのこほり)の布々木(ふふき)の丹生に忌杖刺し給ひ、
上り坐(まし)て伊勢津美(いせつみ)に太坐(おおまし)、
下り坐(まし)て巨佐布(こさふ)の所に忌杖刺し給ひ、
下り坐(まし)て小都知(おづち)の峯(みね)に太坐(おおまし)、
上り坐(まし)て天野原(あめののはら)に忌杖刺し給ひ、
下り坐(まし)て長谷原(はせののはら)に忌杖刺し給ひ、
下り坐(まし)て神野麻国(こうののまくに)に忌杖刺し給ひ、
り坐(まし)て安梨諦(ありだ)の夏瀬の丹生に忌杖刺し給ひ、
下り坐(まし)て日高郡(ひだかのこほり)、江川の丹生に忌杖刺し給ひ、
返り坐(まし)て那賀郡、赤穂山の布気(ふけ)といふ所に太坐(おおまし)て
遷(うつ)り幸(いでま)して名手村(なてのむら)、丹生の屋(や)の所に 夜殿(よとの)太坐、
遷(うつ)り幸(いでま)して伊都郡(いとのこほり)、佐夜久(さやひさ)の宮に太坐。
則ち天野原(あめののはら)に上り坐(まし)、
皇御孫(すめみま)の命(みこと)の宇閇湛(うこへ)の任(まにま)に
於土(うへつち)をば下に掘り返し、下土(したつち)をば於(うへ)に掘り返し、
大宮柱(おおみやばしら)太知(ふとし)り立て奉り給ひ、
高天(たかま)の原に知木(ちぎ)高知り奉り、
朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に、
世の長杵(ながき)に常世の宮に静まり坐(ま)せと申す。
丹生大明神告門より)   

どうです。最初のフレーズは聞いたこと有りますよね。俗に言うところの詞(のりと)ですから。
そしてこの詞は、高野山、空海、不老不死に関わりが深い、とても強力な"丹生大明神"の威光を持って魔霊を鎮める霊験あらたかなものだそうです。

ちなみに陰陽師 (漫画) - Wikipediaなどから知るところによると、

古来より伝承される逸話;白比丘尼(やおびくに)から題材を得て、夢枕獏さんが小説『陰陽師』を執筆し、これを原作として更に岡野玲子さんが描いた漫画では、
安倍晴明がこの祝詞を読み上げ不老不死の体を持つ女・白比丘尼の鬼を払う。彼女は成仏したかに思われたが、実は、白比丘尼は秦氏である父・道満によって復活と、秦氏の政権樹立に利用された人物であった。後に晴明が源高明邸の塚から偶然発見した唐櫃の中より白比丘尼は復活、名を蘆屋道満と改め、藤原兼通専属の陰陽師・智徳と共にその名を轟かす。 折しも、宮中で射覆が執り行われようとしていた。安倍晴明は都の危機を救うため、道満と対決する。」
というクライマックスシーンがあるそうです。)

奥之沢明神のお話は、次回に続きマス。
 
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