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〜天野の里の史跡:丹生明神はイザナギの娘にしてアマテラスの妹?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
前回は奥之沢明神の説明書きから、丹生明神の由来にまつわる神話について触れ、神社にはつき物の祝詞(のりと)についてご紹介しました。
ですがそもそも神話というものは、良くも悪くも古代人にとって重要であった物事を恭(うやうや)しく奉るために後づけで語られた物語と言えるでしょう。
そこで丹生明神の神話についてちょっと詳しくご紹介します。
稚日女尊 - Wikipediaによれば、(一言:私にしてみれば片田舎の神社の祭神と思っていた丹生都比売神=丹生明神だったのですが、何とも話が壮大になって来ましたね。そして丹生都比売神=丹生明神=稚日女尊ということに。)
丹生都比売神=丹生明神の記述としては、日本神話(記紀神話)ではまず、『日本書紀』神代記上七段の第一の一書に登場するとか。
稚日女尊が高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていたとき、それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込んだ。稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ:今で言うところの機織りにセットされている縦糸の間に横糸を通すためのシャトルのことです。)で身体を傷つけて亡くなります。それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまいます。
(一言:ここは有名過ぎるお話ですよね。)
(一言:神話には、艶かしい話が多々ありますよね。)
次にこの名前の神が登場するのは人代記に入ってからで、
神功皇后の三韓外征の帰途、難波へ向おうとしたが船が真直に進めなくなったため、武庫の港(神戸港)に還って占いを行ないます。そこで稚日女尊が現れられ「私は活田長峡国にいたい」と神宣があったので、海上五十狭茅に祭らせたとある。これが今日の生田神社だそうです。
神名の「稚日女」は若く瑞々しい日の女神という意味であるそうで、天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われるとか。
そして当地の丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしていて、兵庫県西宮市の越木岩神社には稚比売命の磐座があるのだそうです。
また、記紀神話より以前のものとされていましたが、現代では記紀神話より本当はずっと後、江戸時代に作られた偽書であるとする説が有力な『ホツマツタヱ』という書があって、それには、『記紀』よりも詳細に稚日女のことが記されているそうです。そして稚日女尊 - Wikipediaではこれを異説として紹介しています。
(一言:そうか、これに和歌山県の県名が由来しているのですね。)
また、スサノオがしでかした、屋根を破って斑駒(ぶちごま)を投げ込む暴挙によって、落下して来た馬に動転して、不運にも手に持つ梭(ひ)で身を突いて死んでしまったと伝えられているワカヒメは、天照カミ(天照大神)の中宮セオリツ姫(瀬織津姫)ホノコの妹ワカ姫ハナコであり、玉津島神社に祀られている稚日女(ヒルコ姫)とは別人ということになっているとか。
旧来は『ホツマツタヱ』よりも後世に作られた可能性があるとされていた『古事記』『日本書紀』では、この辺りの情報がごっそり抜け落ちてしまったため、混同が生じているとする見方もあり、。玉津島神社の社伝の説明では、神功皇后が半島に軍を進めた時に、玉津島の神が大変な霊威をあらわしたため、皇后がこれに報いて、御分霊を葛城町天野の地にお鎮め申し上げたとある。 以来玉津島と天野に一神両所が並び立ったとされています。
(一言:なるほど、つまり『ホツマツタヱ』では記紀神話と違って、玉津島の神が先ずおられて、その御分霊が丹生都比売神=丹生明神であるとするのですから、=稚日女尊ではないのですね。)
そして玉津島神社は、住吉大社、柿本大神(明石)とともに、和歌三神と言われているとか。
(一言:つまりここでは丹生都比売神=丹生明神は和歌三神には数えられず、和歌三神より下位にあったということですね。)
今回のページでの結論ですが、上記の調べの中で重要なことがわかりました。
丹生都比売神=丹生明神は、記紀神話が記された飛鳥時代には中央政権(大和政権)から重要視されてていたことが分かります。つまり天野の地が中央政権(大和政権)に対して強い影響力をもっていたということですよね。
それは、丹生都比売神社の祭神:丹生都比売神=丹生明神が記紀神話に天照大神の妹神という高位の神として登場していることから伺えます。
ところが、その飛鳥時代の前か後はは未だ決定していませんが、『ホツマツタヱ』が記された時代には、丹生都比売神=丹生明神が玉津島の神の分霊とされ、和歌三神には数えられていなかったということから天野の地が中央政権(徳川政権かな?)に対してそれほど強い影響力をもっていなかったことが伺えます。
思いがけず天野の地のお話がどんどん面白くなってきましたね。
(一言:私だけがそう思っているだけなのかもしれませんが・・・・。)
ということで、このお話の続きは次回に持越しです。
丹生都比売神社の四本殿
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