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〜天野の里の史跡:だから石造五輪卒塔婆群の謎の石板碑は切断され〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
前回は、天野の里になぜ丹生都比売神社があり、天照大神の妹神として丹生都比売神が祀られているのかを探る中で、大和朝廷・邪馬台国・天皇家の起源といった古代日本の謎の歴史について、天野の里とのつながりを含めた私の考えをご紹介しました。
以前当ブログでご紹介しながら、誤って上書きしたことで消去してしまった〜天野の里の史跡:石造五輪卒塔婆群にある謎の石板碑〜には、石造五輪卒塔婆群にある板碑でありながら説明板が設置されていない事から、他のサイトではほとんど紹介されていない大きな石板があり、その上部が切断されている理由を「明治時代になって発令された神仏分離令が原因ではないか?」と推理していました。
が紹介されています。
事ここに至って、以前当ブログでご紹介しながら、誤って上書きしたことで消去してしまった〜天野の里の史跡:石造五輪卒塔婆群にある謎の石板碑〜を復刻することで、今回のテーマ:『だから石造五輪卒塔婆群の謎の板碑は切断された?』=『なぜ石造五輪卒塔婆群の謎の板碑は切断されているのか?』という謎を推理したいと思います。
今回改めてご紹介する謎の石板碑には、中央上部に大きく大日如来の種子「バン」が刻まれています。
大日如来 - Wikipediaには、「大日如来(だいにちにょらい)、梵名 マハー・ヴァイローチャナ(महावैरोचन [mahāvairocana])は、虚空にあまねく存在するという真言密教の教主。「万物の慈母」、「万物を総該した無限宇宙の全一」とされる汎神論的な仏。声字実相を突き詰めると、全ての宇宙は大日如来たる阿字に集約され、阿字の一字から全てが流出しているという。神仏習合の解釈では天照大神(大日孁貴)と同一視もされる。」
と書かれています。
なぜなら、神仏習合の解釈では、大日如来は天照大神(大日孁貴)と同一視もされ、謎の石板碑には、中央上部に大きく大日如来の種子「バン」が刻まれた更に上部は切断の痕跡があり、そしてその近くには天照大神の妹神:丹生都比売神を祀る丹生都比売神社があるのですから。
廃仏毀釈 - Wikipediaによれば、
ですが、そもそも神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったのですが、結果として神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われ、廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれました。
祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた。1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収した。明治期の神仏分離政策後、政府の意図に反して、仏像・仏具の破壊といった廃仏毀釈が全国的に生じます。
具体的には、僧侶の下に置かれていた神官の一部は寺院を破壊し、土地を接収し、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいたそうです。
現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、火を起こす薪(まき・たきぎ)にされかけ、大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていません。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至っています。
こうした国民の行き過ぎた廃仏毀釈などの行為に対し、明治政府もさすがに国内の動乱を恐れたのか、「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと、神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではないとの注意を改めて喚起したそうです。
廃仏毀釈がこれほど激しくなったのは、地域・事例ごとにさまざまですが、江戸時代、寺院は役所でもあったためさまざまな特権を持っており、寺社奉行による寺請制度で寺院を通じた民衆管理が法制化され汚職の温床となったことで、それに対する民衆の反発があったためとの説もあります。
上記のような廃仏毀釈の動きは、文化財にとって不幸な出来事でしたが、江戸時代の庶民はそれほどお上や寺社によって虐げられていた証でもあるのでしょう。
その反面、藩政時代の寺院が役所であったことによる特権を寺院が喪失したことによってもたらされた仏教の危機は、仏教界へ反省を促し伝統仏教の近代化、民営化に結びつくというプラス面の結果も生れたこともまた事実です。
このお話の続きは次回のページにてご紹介します。
石造五輪卒塔婆群の謎の石板碑アップ
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