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〜平安時代中期の貧しい女性にとっても、髪は命だった?〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!余談ですが編
先にご紹介した高野山の奥の院において、平安時代中期より消えることが無かった燈明にまつわるお話: 『貧女(ひんにょ)の一灯(いっとう) 長者(ちょうじゃ)の万灯(まんどう)』の中で、「女の命とまで言われる黒髪を切って、お金にかえることにしました。」というフレーズ(文章)がありました。
ここで私は「ほんまかいな?」jと引っかかりました。
そう思いませんか?だって貧しい家庭で育った女性ですよ。髪よりも日々の生活が正しく命に関わるお照にとっては、髪が女の命であるはずがないじゃないですか。
打ち続く戦乱と疫病の流行、天災で人心も乱れて荒れ果てた京の都の様子が象徴的に描かれていましたよね。
実際この時代は末法思想が人心に暗い影を落とし、不正な税を課し、私利をむさぼる国司が多くなった。つまり地方の支配者により、農民(公民)は食うや食わずの過酷な日々を送っていたのです。
それが証拠に、郡司・百姓らと国司の抗争が激しくなり、国司の暴政を中央政府に訴える事件が頻発したことを記したこの時代の記録が残っており、枕草子や源氏物語に見られる優雅な生活は、こうした農民(公民)の苦難の上に成り立っていたことは、言うまでもありません。
ようするに、貧しい地方の女性にとって、「髪は女の命」などと言える穏やかな生活など、微塵も無いのです。
平安時代トリビア - ハガクレ カフェではその事を以下のように軽薄にサラッと紹介しています。
ちなみに7メートルくらいの人もわんさかいました。
なんで髪の毛をそんなに伸ばすのか?というと、白粉で塗りたくった白い顔を際立たせるためであります
でも中には髪の毛の薄い女性だっている。そんな女性は?というと、
ズバリ!かつらをしていたのであります。
もちろんこの時代なので、かつらに使用するのは本物の髪の毛、
しかも行き倒れた女性なんかの髪の毛を切って売る商売人がいたので、平安美人達はそれを買っていたのです。
平安美人のゴージャスなクロテカ髪が、死んだ人の髪の毛だと思うと・・・コワ!」とね。
だとすれば、生きた女性の髪の毛は髪に悩みのある上流階級の女性には、頭から手が出るほど手に入れたい代物。 しかもお照は十六歳の少女です。さぞかし美しい髪だったことでしょう。
だから高く売れた。=灯篭が買えるほどの値で。
そしてお照の髪を買った身分の高い女性は、暮らしに困ることはなく、ただただ殿方の気を引くことだけに血道をあげる日々。=髪は女の命だったと言えるのでしょう。
大垂髪 - Wikipediaによれば、
平安時代の貴族女性の髪形は、大垂髪(おすべらかし、または、おおすべらかし)といい、本来は自然のままに髪を垂らした姿を言うが、肩の辺りで髪を絵元結で結んでその先を等間隔に水引で束ねていく「元結掛け垂髪」が「おすべらかし」と呼ばれるものであった。江戸時代初期までは概ねこの形であり、公家階級女子の成人式や宮中の儀式の際には奈良時代の結髪の風習の名残で、前髪を上げて髻を作り櫛などを挿していた。 江戸中期〜後期にかけて民間の結髪方法で鬢を横に張りだす形が流行し、それが宮中に取り入れられて現在見られるような形となっている。一般の結髪方法はその後鬢の張りは少なくなっていったが、宮中の形はその張り出しを保持したまま今日に至っている。
現在では横に張り出し、頭頂部に髻を作った元結掛け垂髪を、型やかもじなどを入れてボリュームアップしたものを「おすべらかし」と呼ぶのが普通で、女性皇族が伝統的な儀式に参列する際に十二単と共に礼装とするほか、一般女性でも結婚式の際にやはり十二単と共にこの髪型にすることがありますが、平安時代のそれとは異なるものです。
平安時代の貴族女性にとって、髪が女の命だったことは、その手入れの大変さから伺えます。
平安朝の姫君たちの髪の長さは背丈くらいあった。当然、これほど長い髪を維持するのは想像以上の労力を使う。毎日米のとぎ汁などで潤いを与えながら梳り、眠るときは枕元に置いた浅く広い漆塗りの箱にとぐろを巻くようにして入れておく。
入浴は忌日を避けて行われていたため、髪が洗えない日などは臭い消しに香を入れた枕に髪を巻きつけていたし、風呂に入っても乾かすのにかなりの時間がかかるため宮中の女房たちには二日間の「洗髪休暇」があったほどであった。髪を伸ばすことが女性たちの義務であったための措置であったが、そのためどれほど鬱陶しくても、髪が伸びて不揃いになっても、切らずに髪の先だけを削いでいた。
彼女たちは二、三歳ごろまでは髪を全て剃りあげていて、「髪置きの儀」から髪を伸ばし始める。その後は自然に伸びるに任せておいて、一定の年齢になったところで吉日を選び(近世では十六歳、上代ではもっと早い)現代の成人式に当たる「鬢削ぎ」で髪の先をそろえるのだそうです。
最後に、私の感想を述べます。
男女を問わず、農民(公民)は、人であることですら忘れる日々を過ごし、貴族たちは男は男として、女は女としての縁(えにし)をむさぼるように謳歌した。そんな時代が平安時代です。
そして貧女お照るは、幼き頃の悲しみに囚われ、女の性(さが)すら知ることも無く、祈りの中でこの世を生き、3人の父母のもとへと旅立ち、その魂は、灯明となって、今の世までも照らし続けているのです。
人の命をいとも容易く自分本位に滅する今の世の人々に、お照の光明は届かないのでしょうか?
次回は貧女の一燈お照の墓 後日談です。
平安時代の大垂髪(おすべらかし、または、おおすべらかし)
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