|
〜天野の里の史跡:貧女の一燈お照の墓 後日談〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
高野山の奥の院で今も火をともす燈明:貧女の一燈にまつわるお照という少女の物語には、彼女が亡くなって後の後日談があります。
天野の里と桜
(丹生都比売神社前の第一駐車場より2014年4月19日撮影)お照の墓の説明板には以下のようなことが書かれています。
「高野山の奥の院に千年近くの間光輝いている貧女の一燈と言われる燈籠があります。
お照という少女が自分の髪を売った金で養父母の菩提を弔ふために献じた一燈です。
お照はその後ここに庵を結び養父母の菩提を弔いつつ生涯を終えたと伝えられています。
天和二年(一六八二)妙春尼により供養塔が建てられ、貞亭五年(一六八八)郷供僧(さとぐそう)、浄意が彼女の苦しみを救うために、代受苦の行を十年間勤め、ここに碑が建てられました。
この上に実父母の墓と伝えられる碑があります。」
お照の墓の上にあるのは養父母の墓ではなく、実父母の墓。
つまり整然に運命のめぐり合わせで対面した実父が、その後お照るが養父母を弔いつつ天野の里に一人暮らしたのではなく、実父がお照との対面の後に実母を連れ、ここお照の住む天野の里へ移り住んだということでしょうか?
(一言:実父が高野山の僧侶となった後に天野の里で?それはちょっと解せませんね。)
それとも、実母は実父との対面以前に亡くなっていて、実父も対面の後に高野山からこの地に降り、亡くなったために、お照は養父母と共に実父母の菩提も弔いつつ生涯を終えたのでしょうか?
そして肝心のお照が菩提を弔っていた養父母の墓は、どこにあるのでしょう。
(一言:私はてっきり天野の里に養父母の墓があると思っていたのですが・・・。ひよっとして、説明板の記述が養父母と実父母を書き違えているのでは?とすら思えます。)
物語には語られなかった疑問が幾つか有りますが、今となっては知るすべもありません。
ところで、燈蘢堂 消えずの火|ぼちぼちのブログ - アメーバブログには、お照の実母と伝えられるお墓を取材しておられます。このページの管理人さんもこだわりの人ですね。
燈蘢堂 消えずの火|ぼちぼちのブログ - アメーバブログによると、どうやらお照の実父母の墓を建てたのは、妙春尼らしい。
ということは、妙春尼が儀父母の菩提を弔いながら生涯を終えたお照の魂に対し、「一人天野の里で眠るのは寂しかろう」と、気を利かせて実父母の墓をお照の死後に建てたとも考えられます。
それにしたって妙春尼の親切心からなら、なおさら儀父母の墓を建てるべきだったと私には思えるのですが・・・・。
妙春尼という名の尼としては、徳川家康の母や武田信玄の正室の姉妹などが居ますが、ここで言う妙春尼ではないようです。
|
全体表示
[ リスト ]







一部か画像が見えません。
2015/7/4(土) 午後 10:32
はちのこの風さん
ご報告ありがとうございます。改善させていただきました。
2015/7/5(日) 午後 7:24 [ 上から目線 ]