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〜天野の里の史跡:西行堂〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
天野の里には、西行堂という小さな草庵があります。
西行堂という名を聞くと、西行という人の住まいだったと思うのが普通でしょう。
恐らく、この地を観光に訪れた方の半数ぐらいは、西行堂の脇にある説明板の記述をよく読まずに、
「へーっ、西行法師の家だったんだーっ。」と早合点してしてしまっているのではないでしょうか。
(一言:西行=西行法師と知る人は、そんな早合点はしないかもしれませんが・・・・。)
実際、西行という人はよく旅をし、行く先々で庵を結び、現在もこの他に現存しているのですから。
説明板が写らないように、かつ魚眼レンズを使いたくないなら、
このアングルでの撮影が妥当なのでしょうね。
西行の住まいでないのなら、じゃあだれの住まいだったのか?ですが、
それには手っ取り早く説明板の記述をご紹介するのが一番でしょう。
以下は説明板の内容です。
西行庵
西行庵は、昭和六十一年に場所を移して再建されました。
吉野の西行庵と、広川寺の西行堂と共に、天野の西行堂は、西行妻娘ゆかりの堂として有名です。
西行妻娘の住まいとした庵を、西行堂として祀った天野の里人は、再建を繰り返し、平安時代末期より守り続けてきました。
妻は西行が出家して二年後に、この下の後方台地に庵を建て住みました。
娘も十五歳の時、尼となり母と共に生涯を終えました。
母と娘はこの下に葬られ、誰が建てたのか小さな六地蔵に囲まれ、静かに眠っています。
なく虫の 草にやつれて 行く秋か
天野に残る 露のやどりぞ (似雲)
【私の解釈】
鳴く虫が草むらの中で人知れず衰えて、秋は過ぎて行くように、
天野に残る露に濡れたこの住家も、やがて朽ちて行くのだろうな。 以上が説明板の内容です。西行の住まいではなく、妻子の住まいだったんですね。
「なぜ妻子だけがこの庵に?」という疑問に対する答えは後日ご紹介することにます。
説明板の最後に記されている歌を詠んだ似雲(じうん)とは、似雲 - Wikipedia - ウィキペディアによれば、
のだそうです。
さて似雲によって詠まれたこの歌の意味ですが、ネット検索では知ることができませんでしたので、 私の素人解釈を添えましたが、的確かどうかはわかりません。あしからず。
次回は西行についてです。
ですがサッカー女子決勝も記さなければなりませんので、そちらが先かな?
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