カメラとビデオを棒にくっつけて

堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

全体表示

[ リスト ]

〜天野の里の史跡:西行の妻:萩と、名も残らない娘の墓、そして物語
     サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編  
 
前回は平安時代後期の権力争いについて記し、西行が出家する以前に武士としてどういう立場であったかについてご紹介しました。
これでやっと西行の妻と娘天野の里西行堂に移り住み、生涯を終えたかについて記すことができます。
 
前回ご紹介したように、
時の関白藤原忠実は、白川法皇の権勢の下で劣性となった藤原家の復権を図ります。
鳥羽天皇と白川法皇の政権抗争の間に鳥羽天皇に近づき、藤原家の摂関政治による復権を試み、白川法皇のたくらみを阻止したことで一度は関白の座を失いますが、白川法皇の死後、鳥羽上皇の下で再び権勢を得ます。
ところがこの時、藤原の要職である 関白を継いだのは忠実とは考え方の異なる長男:忠通であったため、後継を次男の頼長に譲ろうとします。つまり藤原家でも内紛があったのです。
父:忠実に対抗するため長男:忠通は、藤原の分家筋:葉室顕頼(はむろあきより)の仲介により、美貌の藤原得子(なりこ)(美福門院)を鳥羽上皇の皇后とします。
 
ところが生前の白川法皇によって鳥羽上皇の皇后候補だった藤原璋子(待賢門院)は、得子に鳥羽上皇の愛を奪われた璋子は、わが子:崇徳天皇も味方にして激しく得子を憎みますが、鳥羽上皇が寵愛する得子を罰することもできず、二人の間を取り持った顕頼とその一族を断罪、窮地に立った顕頼が、何とか璋子の怒りを解こうとして璋子の兄・徳大寺実能(さねよし)に近づくための手段として、葉室氏の娘萩の前)と義清(西行)とを縁組します。
政争の具として仕組まれた縁組でしたが、若い夫婦は愛し合い、娘をもうけます。
 
以後は佐藤義清(西行)と妻・萩 歴史と家庭西行の妻娘についての記述がりますので、その記述を基にご紹介します。
 
佐藤義清が出家して西行となった理由には、鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)との許されない恋を振り切るためとした説と、
従弟で親友だった佐藤範康(のりやす)の急死に世の無常を感じたからとする説の二説があり、それらのどちらかの理由に加えて、朝廷を取り巻く権力闘争も、西行の心に暗い影を落としたのでしょう。
 
「大河ドラマ「平清盛」では、出家を決意した23歳の佐藤義清(のりきよ=後の西行)が、縁側から幼い娘を足蹴(あしげ)にする場面がありました。これは、鎌倉時代の西行物語絵巻にも描かれていて、肉親との絆を断ち切る決意を表すために、象徴的に描かれていると解釈できます。
ですが西行は決して家族を見捨てたわけではなく、80歳の老母に19歳の若妻と娘が困らないよう心配りをしていたことを示す古文書が残っているようです。
義清(西行)の生家:佐藤家は裕福だったので、妻は姑の世話をしながら娘を育てました。姑の死後は母娘共に出家し、義清(西行)が修行している高野山のふもとに庵を結んで暮らしたのは、夫を慕う思いを持ち続けていたからなのでしょう。
鳥羽上皇を警護する北面の武士でありながら、仏教と和歌の道を究めようとして出家した義清(西行)が後に西行(西に向かう)と名乗ったのは、阿弥陀仏の西方浄土へ行くとの意味を込めたと解釈することも出来ます。
従弟の佐藤範康の急死には、
徴税をめぐる諸国の在地領主と国司との争いが絡んでいました。律令制度の下では本来、土地はすべて国有でした。ところが、次第に貴族や有力寺社荘園の私有が認められるようになると、そこからの徴税が難しくなります。
朝廷から派遣されている国司は、取りやすいところから税の米を取ろうとするので、荘園を管理している武士との間で、争いが頻発するようになったのです。平安時代末期には、自然災害も相まって、各地で騒乱が相次ぐようになります。
こうした問題は国の仕組みを変えないと解決しません。そこで期待された一つの勢力が、金の産出で強大な力を蓄えていた奥州藤原氏で、佐藤家の同族です。前述の佐藤範康は、藤原基衡(もとひら)に決起を促す旅に出る直前に急死したと伝えられています。
一言佐藤範康は、時の権力者に暗殺されたのでしょうか?)
出家して自由な立場になった西行は、かつての友人や貴人、女官たちを訪ね、和歌を交わしたり、相談に乗ったりしていますから、決して世を捨てたわけではありません。
妻や娘の様子も見守り、九条家の娘・冷泉の養女になった娘が、冷泉の嫁ぎ先で侍女のように扱われているのを見て腹を立て、娘を連れ出し、妻の所に戻したほどです。
【西行物語における西行の娘】は、
西行が出家の際にすがりつく娘を蹴落として家を出たという『西行物語』に描かれた逸話で知られています。江戸時代に広まった『西行物語』の版本には、この他に「父と娘とが再会した話」、「父のすすめで出家した話」や「出家後は母と共に高野山の麓の天野の地で修行に明け暮れた話」、「生涯男を知らないままで死去した話」といったいくつかの逸話が含まれている。しかしそもそも『西行物語』は、生涯に何度かにわたって行われたと見られる西行の奥州など遠方への旅を一度きりのものとして描くなど、史実を忠実に記録したものではないと考えられている。加えて、『西行物語』は写本・版本間の異同が大きい作品であり、古い時代の写本(例えば鎌倉中期の伝阿仏尼写本)では父の出家時の逸話しか存在しないため、それ以外の話は後世の付加の可能性が高く、これらを元に史実を探ることは困難であるとする見方もあります。
【逸話ではなく実在の西行の娘】は、
西行に娘がいたこと自体は、同時代の他の文献などからも確認出来るものの、断片的に触れているだけのものがほとんどであり、名前のことなど不明な点も多い。鴨長明の『発心集』では、西行が出家時に娘のことを弟に懇ろに頼んでいたとするなど、『西行物語』の記述とは大きく異なる記録も少なくないそうです。
 
ちなみに、以下には西行物語のあらすじが紹介されています。
             西行物語(あらすじ)巻四
 
西行の妻と娘の墓
2013年4月
 
イメージ 1
西行の妻と娘の墓
2015年5月
2013年4月の時に比べて五輪塔の上部が落ちてしまっています。
 
PVアクセスランキング にほんブログ村

.
上から目線
上から目線
非公開 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

過去の記事一覧

標準グループ

登録されていません

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

ブログバナー

友だち(2)
  • 湖池健彦 Essay
  • 土佐文旦
友だち一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事