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〜天野の里の史跡:曾我兄弟の仇討ちは養子の血筋が家督を継いだのが原因〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
先日までに、和歌山県伊都郡かつらぎ町の天野の里にある鬼王と岡三郎の墓にまつわるお話として、曾我兄弟の仇討ち外伝までをご紹介しました。
今回はそもそも曾我兄弟が仇討ちをするに至ったおおもとの出来事を夜討曽我 - 瓦照苑ホームページにある記述がらご紹介します。
曾我兄弟が、親の仇として工藤祐経を討つ原因となった「河津三郎祐泰(祐通)」暗殺について
夜討曾我」の出来事は鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」に史実として載っています。元を正せば史実である曾我兄弟による富士の御狩の襲撃を源とも考えられます。
父:祐泰は曾我兄弟がそれぞれ5歳と3歳のとき、伊豆の奥の狩場にて思いがけず矢に当たって絶命しますが、実はその矢を放ったのは工藤祐経でした。 では何故、祐経は祐泰を殺してしまったのでしょうか。
事の起こりは伊豆国(静岡県の伊豆半島を主とする一帯)の楠美荘の領主にして、曾我兄弟の曽祖父「楠美入道寂心(俗名:工藤祐隆)」が息子たちに先立たれたことにあります。 工藤祐隆は後妻の連れ子に密かに産ませた子を嫡子(ちゃくし)に立て、主な領地である伊東荘を譲り「伊東武者祐継」と名乗らせましたが、亡くなった息子にも男の子が居た為、次男として河津荘を譲り「河津次郎祐親」と名乗らせました。
ところが、伊東祐継の出生の秘密を知らない河津祐親はこの処置(=後妻の連れ子:祐継に主な領地である伊東荘を譲った)を不満に思いました。 祐継の死後、一旦は彼の遺言に従い祐継の嫡男(ちゃくなん)の面倒を見、元服させて自分の娘と結婚させるも、祐継の嫡男(ちゃくなん)が都へ上ると所領を横領するのです。
これに対し祐継の嫡男は訴訟を起こしたのですが、祐親の賄賂(わいろ)によりことごとく退けられます。更に祐親は、自身の考えで一旦は嫁がせた娘を取り上げ、別の男と結婚させてしまいます。
この理不尽な境遇に追い込まれた祐継の嫡男こそ、曾我兄弟の仇敵となる工藤祐経なのです。
本来は自分のものである所領をのっとられ妻を奪われた祐経が、祐親と嫡男の祐泰暗殺を企て所領を取り戻そうと思うのは当然の成り行きではないかと思わざるを得ません。
(一言:夜討曽我 - 瓦照苑ホームページにの管理人さんはそう言いますが、後妻の連れ子と関係を持ち、出来た子を嫡子(ちゃくし)にしちゃぁーだめでしょう。現代感覚では。)
もっとも曾我物語はこれを「第一には叔父なり。第二には養父。第三には舅(しゅうと)。第四には元服親なり。」として祐経は祐親に対する重恩があると述べ、
(一言:これって「恨み」を「重い恩」と反対言葉で言った皮肉?)
祐経の悲惨な最期を示唆します。なかなか道理というのは難しいものです。
しかし祐経は暗殺を部下に実行させます。放たれた刺客の矢は祐泰の命と祐親の左指2本を奪います。悪運の強さに仕留め損ねた祐親も、後に源頼朝に敵対したことが仇となって自害し、その息子も平家方に与して討死します。やがて工藤祐経は頼朝の側近として重く扱われるようになり、伊東荘は祐経のものとなるのです。 こうして祐経は祐親一族に復讐を果たして所領を取り戻し、輝かしい出世を遂げたわけです。しかしながら、祐親一族の没落と祐経の繁栄は、祐泰の子供の中に復讐の火を育てていき、その火に祐経が焼かれる(=祐泰の従者だった曾我兄弟に討たれる)こととなるとは因果か常なき世のさだめか、人性の虚無を感じずにはいられません。 (一言:そもそも、曾我兄弟の仇討ちの原因の根源は、後妻の連れ子に密かに産ませた子、つまり伊東祐継を嫡子(ちゃくし)に立てたこと。工藤祐隆が悪い!)
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