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〜治水工事のスペシャリスト大畑才蔵は、学文路の偉人〜
サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編
我が家の直ぐ横を通る旧道と国道370号線が交差する近所には、『大畑才蔵生誕地学文路』と刻まれた巨大な石碑が建っています。
私はその存在を引っ越してきた当初から知っていましたが、「大畑才蔵って誰よ?霧隠才蔵の子孫?」なんてふざけた思い以外に何の関心も抱かず、その人物を調べようともしませんでした。
ところが、先日来からご紹介しているページの中に、この名が有ったことにお気づきでしょうか?
〜小田頭首工(おだとうしゅこう)に付随する小田井用水路〜では、こう記しましたよね、
「江戸時代、財政事情の厳しい紀州藩では、2代藩主徳川光貞(みつさだ)の時に打開策として米の増収を図る改革を進め、紀ノ川の水を利用する大規模な新田開発を計画しました。
用水路工事は、1699年(元禄12年)の藤崎用水の開削に始まりました。
1707年(宝永4年)5代藩主、徳川吉宗(後の8代将軍)の命令を受け、大畑才蔵(おおはたさいぞう)がこの小田井用水を開削しました。」と。
そう解ってみると、なるほど『大畑才蔵生誕地学文路』の文字の右上に刻まれた文字をよく見ると、「紀ノ川に小田井と藤崎井・・・」とあります。
(一言:果たして町内会の人は大畑才蔵の偉業を知っているのでしょうか?この石碑の建立は平成十六年と裏書にあるのですから、知らないはずはないでしょうが。)
大畑才蔵 - Wikipediaによると、
「大畑 才蔵(おおはた さいぞう、1642年(寛永19年)〜1720年(享保5年))は、日本の農業土木技術者。江戸時代、紀州藩で、水利事業に大きな貢献をし、小田井用水路、および藤崎井用水路の紀の川から引水した大規模かんがい用水・疏水工事を行った人物として知られる。諱(いみな)を勝善という。戒名は、『浄岸慈入居士』。
・・・・・正徳5年(1715年)、74歳という高齢になったため藩に辞職することを願い出た。 小田から根来川にいたる小田井用水路の工事は三期にわたったが、その完成を見ることなく享保5年(1720年)、才蔵はその生涯を閉じた。」と記されています。
「橋本市・伊都郡のみなさーん、知ってましたかーっ?」と私は言いたい。
でも大多数の地元人が「知っとりゃっしょ!」と答えたなら、私の愚言をこの場にてお詫びいたしますので、あしからず。
『大畑才蔵生誕地学文路』の碑(表面)
(一言:馴れ馴れしい焼きそばの旗やねーっ。)
『大畑才蔵生誕地学文路』の碑(裏面) (一言:裏から見るともっと馴れ馴れしく見える焼きそばの旗やねーっ。)
小田頭首工の脇にある『小田井本堰改築記念』の碑 |
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