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堀野 満夫(ポール写真家)My name is Mitsuo Horino. I 'm pole-photographer.

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〜天野の里の史跡:横笛の恋塚(格差社会の悲恋物語)
     サブタイトル:オヤジブログは自由だ!和歌山編  
 
台風11号が関西を通過したことで、横道に逸れましたが、今回から再び天野の里の史跡についてご紹介します。
 
今回は女性陣お待ちかね?の悲恋物語です。女性って自分は幸せになりたい癖に、なぜ悲恋物語が好きなのでしょうね。
「悲恋ならいくらでも体験できるだろうに。」と私は思うのですが・・・・あっ、しまった。また女性を敵に回したかな?
 
和歌山県伊都郡かつらぎ町の山腹にある天野の里には、『横笛の恋塚』と呼ばれる塚があります。
もうこれだけで女性は食いつきそうな史跡ですよね。
 
この、『横笛の恋塚』の説明板には、以下のように書かれています。
「平家に仕えた名門武士、斎藤時頼(滝口入道)が雑仕横笛と恋に落ちたが、実のらぬ恋と悟って時頼は出家し、嵯峨の往生院に入った。後に高野山で多聞坊浄阿と称し、仏門修行の毎日を送りました。
横笛も後を追い、奈良の法華寺で生涯を終えたとか、桂川で身を投げたなどの諸説があるが、治承3年(1179)高野山に入った時頼のあとを慕い、ここに庵を結び、恋しい人にあうこともなく、19歳ではかなく亡くなったと伝えられています。」と。
 
つまり一般によく知られる斎藤時頼(滝口入道)と横笛の悲恋物語と、ここ天野の里に伝わる伝承は違うということです。
 
では平家物語によって伝えられる二人の悲恋物語はどんなお話なのでしょう?
 
多くの記述を参考に、横笛という女性がどのような人だったのかを、私なりに紹介しておきます。
 
横笛は、平安時代の女性で、建礼門院徳子(平徳子)の侍女と伝えられ、雑役を担当する位の低い雑仕女であったと伝えられますが、和歌や琴に秀でた美貌の持ち主だったようです。
のみならず、実名や出自(生年及び没年)等については不詳で、その存在自体も架空ではないかとも言われます。
この横笛が、清盛の西八条殿で行われた花見の宴で、見事に花よりもなお美しく舞ったことから二人の悲恋物語は始まります。
横笛の舞を見た斎藤時頼は、その美しい舞姿に一目惚れします。
 時頼は、斎藤茂頼の子で、もとは
平重盛に仕える武士で、この頃は「滝口の武士」であったとも言われています。
横笛に一目惚れした時頼は、横笛に恋文を送り、やがて横笛と時頼は深く愛し合うようになります。
しかしこの恋愛を茂頼が知ることとなり、茂頼は時頼に対して、
「お前は名門の生まれで、将来は平家一門に連なる身の上でありながら、あんな横笛ごときに夢中になっているのか」と、時頼を強く叱りつけます。

これに対して時頼は、「自分の意に沿わない女性を妻として何なろうか。
それならばいっそのこと出家した方がましである」と、そのまま嵯峨の往生院に入り出家してしまうのです。
時に時頼は19歳であったといわれます。

滝口入道が出家したことを伝え聞いた横笛は、
  われをこそすてめ、さまをさへかへけん事のうらめしさよ
「私をお捨てになられるのは構わないけれど、出家までなさるとは恨めしい」とその心情を歌います。
 
そして時頼の消息をあちこち訪ね歩いて、ようやく嵯峨野の往生院にたどり着きます。

日も暮れた夕闇の中、住み荒らした僧坊から聞こえた念仏の声を滝口入道と悟り「真の心を打ち明けたいと女の身でここまでやってきました」と訴えます。
この時時頼こと滝口入道も、平常心でいられるはずはありません。
襖のすき間からのぞいて見ると、裾は露に濡れ、袖は涙で濡れ、やつれた顔付きの横笛が立っています。

その哀れな姿はどんな立派な修行者でも心動かされずにはいられない様子です。

しかし滝口入道は同宿の僧に
「ここにはそのような人はおりません。なにかのお間違いではないでしょうか」と言わせるのです。
横笛は泣く泣く帰りますが、自らの心情を歌にし、近くの石に指を切ったその血で歌をしたためて残します。
 
山深み 思い入りぬる 柴の戸の まことの道に 我を導け
 
その石は、往生院の子院であった三宝寺の旧跡である現在の滝口寺に、今も「横笛歌石」として往生院の参道にたたずんでいます。
この出来事で横笛への断ち切りがたい思いを自覚した時頼は、高野山の清浄心院に入ってしまいます。
それでもなお時頼を慕う横笛もまた出家するのです。
 
横笛が法華寺で尼に成ったと聞いた滝口入道(時頼)は、一首の歌を
横笛に送りました。
 
そるまでは 恨みしかも 梓弓 まことの道に 入るぞうれしき
大意:頭を丸め出家するまでは、さぞや私をうらむ年月をすごしているのだろうと心配していましたが、あなたが真の安らぎを得ることができる仏道に入ったことを、とても嬉しく思っています。)
 
やっと慕い続けた時頼と心を通じ合えた喜びををかみながら、横笛も締めて、返歌を詠みます。
 
横笛の返歌
そるとても なにかうらみん 梓弓 ひきとゞむべき 心ならねば
大意:頭を丸め出家したからと言って私が何を恨みに思うことがありましょうか。何故ならあなたの心はもう引き留めることが出来ないのですから。)
 
注釈:梓弓(あずさゆみ)は、神事に使う弓ですが、詩の「枕詞」として「春」(張る)
に掛け、心の春をイメージしているそうです。)
横笛は、、間もなく法華寺で亡くなります
その仏道に身を置く日々は、安らぎを得た穏やかなものだったのでしょうか?それでもなお、燃えるような思いを断ち切ろうと、ひたすら心の格闘を続けていたのでしょうか?
横笛の死を聞いた滝口入道は、ますます仏道修行に励み、その後高野聖となり、大円院の第8代住職を務め、元暦元年(1184年)には、紀州の勝浦で平維盛
(重盛の子)の入水に立ち会っています。
 
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